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第三章 | 第五章 | 目次

独り輝く、月の下で

第四章

 私は孤独だった。
 友達はおろか家族もいない。親しいものもいない。でも心は人間のごとく繊細で、知りもしない暖かさを求めていたのだと思う。
 幸か不幸か、あるいは皮肉か、そんな化け物の私には肉体変化の能力があった。
 やめろと叫ぶ心があり。やりたいという餓えに似た好奇心が、それでも大きくて。
 年頃の婦女子に変化し、村の人々に溶け込んだ。
 隔離されていた異世界。その中の私は、さながら迷い込んだ羊のよう。だけど。
 みな、優しかった。親者とない私を決して裕福でないながらも引き取り、自分の子供と分け隔てなく育てようとしてくれた。まるで実の兄弟のように、朗らかな笑みで遊びに誘ってくれた。当然のように、おいしいご飯を食べさせてくれた。
 これが幸せか? なら、ずっと人間でありたい。
 ──でも、それは私の存在自体が許さなかった。
 『ある日』、私の中にある殺害願望を持った激しい欲求が、否応無く胸を打った。決して逆らえず、同期して肉体は元の姿へ強制的に変換される。
 食欲などと同等──それ以上の欲求。化け物としての最大のあり方が、そこにあった。
 でも──願っていたのだ。この欲求に身をまかせても、彼らならきっと分かってくれると。そしてそのとき、私ははじめてこの苦しみを押さえつけ、人間のように在れるのではないかと。
 はかない願いだった。
 罵られた。涙を流された。悪者だと言われた。
 私は何もしていないのに。
 そしていつものように、怨望的な欲求を振り回す。涙を流して、心無い快楽に浸って。お前らのせいだと呟いて。
 人間に化けて人間を殺す。長い噂で、私は『鬼人』と呼ばれ、おののかれた。
 意地──だったと思う。
 どんなに傷ついても、何度おなじ絶望を味わおうと、自害しなかった理由。
 隠れた希望もあった。理解してくれる人が必ず現れるという。でも同時に、心のどこかで、そんなことはないと完全に否定している自分もいたのだ。
 負けたくなかった。くじけて、化け物と認めて、罵られ死んでいくのが──嫌だった。怖かった。だから意地になった。
 何のために生きているのか分からないけど。
 私は私が化け物だと認めたくないから生き続ける。
 生きて生きて、私は人間が滅亡するまで、目的もなく生き続けるのだろう。否、行き続けなければならないのだ。
 きっと、そうすることで人間を見返したと満足できると信じて──。

 ◆

 翌日昼過ぎ、地上へ降りて六日目。
 謝ろうと思った。
 できることなら許してもらい、ほんの二日前の忠太との関係に戻りたい。
 『目的』のために絶対そうしなきゃならなかったし、何より、そうしたかった。
 甚だしく傲慢で自分勝手だ。でも、昨日の自分はどうかしてたから……。
 忠太が、必要なのだ。
 悪夢が降りそそいだ翌日は、しかし至って普通の青空が広がっていた。無機質な雰囲気をだす病院も同じで、平日ながら独特の喧騒に満ちている。
 私を肩に乗せて歩いていた茂人が、ある病室の前で立ち止まった。
「ここ、ですね」
 忠太と奈々子の病室だ。よもや二度もここに来るとは考えもしなかった。
 茂人がゆっくりと手を伸ばしてドアを開けようとする。落ち着かなかった。歯車のずれた機械がしだいに崩壊していくように、忠太との関係が狂ってしまいそうだったから。
 そんなためらいも知らず、茂人がドアを開けた。──と。
「ミ・ミラミラ・ミラミラーンッ!」
 ──失念していた。完全に。私の考えを根本的に覆すのが、忠太だということを。
 突如、奇妙な擬音とともにつっこんできた忠太を、足場にしている茂人の肩を蹴り、半ば条件反射でかわす。無邪気で無意味なツッコミをかわすすべは体に染み付いていた。
 扉のよこの壁に頭から突っ込み、心地よいまでの音が響いた。
「ほ、ぎゃあああああ!」
 のた打ち回る忠太にいい加減学習しろと言いたい。ベッドで上半身を起こしている奈々子が、あははと笑った。
 ぐるりと見回す。相変わらず殺風景な光景だ。残り二つのベッドにめぐみの母の姿はなかった。別室らしい。
「忠太、昨日は──」
「ドギュ・メキュロン・ララララーンッ!」
 何かの呪文を唱えながらつっこんでくる彼奴を、再びかわす。すれ違いざまに、ぱこんと後頭部を蹴ってやった。そのままベッドに転がり、勢い余って布団を巻き込みながら床に転げ落ちる。
「こらっ! 忠太くん、いい加減にしなさい!」
「痛つッ……! は、はい! ごめんなさい調子に乗りました!」
 ついに廊下から騒ぎを聞きつけた看護婦に怒鳴られる始末だ。でもこの看護婦の反射速度。どうやら忠太は目を付けられているらしい。
「そうだよぉ、忠太。やるなら、中級呪文じゃなくて最大級呪文を唱えつつ、最高の反射速度で襲い掛からなきゃパステルは捕まえられないよぉ」
「お姉ちゃんも! 忠太君をそそのかせない!」
「……は〜い」
 プンスカしていなくなった看護婦を見送ると、奈々子はちろっと舌を出した。クスリと茂人が笑う。
「二人とも、元気でよかった」
「当たり前じゃん!」
 えっへんと胸を張る忠太に、昨夜の落ち込みはうかがえない。
 よかったと思う安心があり、彼ならそうであるはずだという望みが当たった奇妙な安堵感もあり──変な気分だったが、とりあえず、胸をなでおろして息を吐いた。

 とりたてて危険なわけではない。ただ二日にわたり発作を起こすのであれば、体調や精神が芳しくないのかもしれない。新しい抗発作剤のクスリを用意し、カウンセリングもするという措置を、病院はとった。
 とりあえず一日入院して様子を見、問題がなければ翌日退院できるとのこと。
 別に良いのにと忠太はふてくされていたが、奈々子の賛同もあってか結局はそうすることになった。私たちに発作のことを打ち明けてないから、後ろめたいものがあるのかもしれない。
 それにしても、忠太には恐れ入る。普通の発作の患者なら、日常生活することさえふさぎ込んで、発作に怯える毎日を送るというのに……。忠太と来たら、そんな病気はどこ吹く風で、あっけらかんと笑ってはねのける。本当に病気なのかと疑ってしまう。──もっとも、強がっている感は否めないだろうが。
 忠太は、何を考えているのだろう?
 とりあえず、大前提として忠太に謝り。何のことだというとぼけをスルーし、彼が聞きたがっているであろう本題に話を運んだ。
「忠太は狙われています。私と同じ、異種なる生き物に」
 すぐに忠太は緩んだ顔を引き締める。
 今は彼と同じ立場で問題を分かちあう友は、隣にいない。病室から忠太だけをつれ、病院のロビーに連れ込んで話をしていた。
 周りは見舞い客やそれらを案内する看護婦で溢れている。私たちの周りだけ時間の流れが違っているようだった。
「でも……どうして、おれが狙われなきゃいけないんだ?」
 忠太は冷静に聞き返した。事態や心を整理する時間は十分あったのだろう。
 昨日私とわかれショッピングセンターに入ったあと、忠太たちは買い物をしていた。そこに、めぐみの母がやってきた。店に忠太が財布を忘れていっていたらしい。めぐみの母は買い物のことを知っていたため、届けに来てくれたのだ。
 だが──、そこで異常事態は起きた。商品が陳列されている棚──高さ三メートルはあろうかという巨大な棚が、倒れてきたのだ。地震がおきても動かないだろう棚が、だ。
 その落下先には忠太が呆然と立ちすくむ。めぐみの母がとっさに動いた。
 驚愕に逃げられないでいる忠太を、突き飛ばした。だが、それでもうめぐみの母に与えられた逃げる時間の猶予は、……無くなってしまった。
 棚は倒れた。あたりの商品を巻き込み。忠太たちを庇った──めぐみの母を踏み潰し。
 めぐみの母は、命に別状はなく意識もはっきりしているが、骨折したりと重症らしく、忠太とはべつの病室で入院することになった。めぐみも──おそらく、そこだろう。
「忠太が狙われている理由は、……まだはっきりとわかりません。でも私が関係していることは、否めないでしょう」
 否めないどころか、完全な元凶だ。直接そう言えないのは、私の中の弱くて甘ったれた、卑屈な精神が、忠太に嫌われるのを怖がっていたから。汚いやつだと思う。でも──でも、そうしないと『目的』も果たせないのだ。
 沈黙が落ちた。空気を圧して張り詰めたような、ピリピリくるそれだった。
 忠太はうつむいている。神妙な顔で、らしくないしわを眉間に寄せて。
 嫌われても仕方がない。出て行けといわれても当然だ。私と忠太の関係は、細い糸一本で渡されたつり橋に相違ない。
 やがて──忠太は静寂を破った。その言葉は、私の想像をはるかに超えていた。
「じゃあ……これからも襲われる可能性はあるんだな。茂人やめぐみちゃんにも、危険が飛び火するかもしれない。……しばらくは、会わないほうが良いかもな」
 当然のように、事実を整理するみたいにさみしそうに、忠太は言った。
 それを聞いて、私は。
「なん──です、って……?」
 愕然とした。忠太の考えに愕然とした。
 忠太は私という名の災いを放置し、あろうことか仲間の心配をしたのだ。
 驚いた、意味が分からない。なんだ。なんだそれは。
 自分のことを心配した私を──馬鹿にするように。私の考えを踏みにじるように。
 自分の身だけを案じた私は、まるで最低の薄情者みたいではないか。
 なぜ自分のことを心配しない。お前は狙われているんだぞ? 死ぬかもしれないんだぞ? 他でもない私のせいで。
 自分の身だけを案じて。
 私のせいにすればいいのに!
「忠太は──忠太はどうして」
 え? と、図れない感情に体を震わせる私に、間抜けた声が反応する。ありったけの威圧感を込めて、睨んだ。
「自分の心配をしないで、他人の心配などするのですかっ?」
 らしくない。落ち着け。口調と起伏があっていない。でも抑えきれない。
 忠太は急に怒られた犬のように顔をしかめ、当然のように言い募る。
「と、当然だろ。だって友達なんだからさ」
「友達──だから?」
 拍子抜けも良いところ。打ち震える感情が、しおしおと空気の抜いた風船のようにしぼんでいくのを感じた。
 友達だから。その一言で、全て解決できる問題なのだ。忠太には。何のことも無い。
 私と忠太は、全くべつの次元で話していたに過ぎなかったのだ。
 突き放されたような絶望感があり──ほんの少しの諦念に、なんだか認めのようなものもあって。やるせなくて、顔を伏せた。
「え、あ……パ、パステル?」
 今度は急に落ち込んでしまう私に忠太は動揺する。
「だ、だってさっ? パステルだっておれを仲間だと思うから話してくれるんだろ? 心配してくれて、助けてくれるんだろ? それと同じだよ」
 そんなんじゃない。私は『目的』が大切だから。
「感謝してるんだよ、おれは? パステルがいて──パステルと出会えて、おれは良かったよ。嬉しかったよ。だからさ、そんな引っ込み思案になんなよ。お前らしくないぞ! 『そうですね。仲間であるとともに、良い食料調達係でもあるのです』とか、いうだろ!」
「……言いませんよ」
 自分でも驚くほど冷徹な声が出た。音無き忠太の息を詰める声が聞こえる。
 うつむいたまま、そのとき、しごく簡単な理解をした。たぶん以前から、その理解はしていたけど、認めたくなかっただけなんだ。
 ──邪魔者は邪魔者らしく! 化け物らしく──『鬼人』らしく生きろよッ
 『敵』はそう言った。なんだと思った。けどそのとおりだった。
 化け物はしょせん化け物。人間と同じ尺で捉えることもできないし、考えが共通するはずも無い。何もかも違う。
 全くべつの生き物なのだ。
「パステル……?」
 心配げな忠太の声。ゆっくりを顔を上げた。
「……『良い食料調達係』とは言いません。ただ、『優越感に浸らせてくれる身近な存在』とは応えるでしょう」
「……は?」
 半音ずれた声。しばらくぽうっと私を見つめて、ようやく理解する。
「ひ、ヒド! そっちの方が断然ひどいから! めっちゃ傷ついたよおれ!」
「事実を言っただけですよ」
 こいつぅと、忠太は手を伸ばした。つっこみではなく、ひょいと私を両手ですくい、頭の上にのせた。のり心地は悪かったが、忠太の匂いがした。
「……今度、チーズかまぼこ二個かってやるよ」
「たった二個ですか。奮発するなら十個ほどが必須だと思うのですが」
「一言おおいな、おい」
 思わずクスリとする。
「ありがとう」
 突然の礼に、うっと忠太が呻いた。
「……なんかあるな。どんな伏線はったの、今?」
 ゲシっと脳天にチョップを食らわせてやる。
 いてぇと笑う忠太を見下ろし、寂しい気持ちになった。
 私の居場所はここには無いんだな、と思った。

 病院で忠太と別れ、電車に乗りこみ町へ戻る。病院は町から一駅ほど離れたところにあるのだ。
 平日の空いた電車の中、ちょこんと長椅子に両足を伸ばす。
 ──早いことに、今日で忠太とであって六日目だ。今日をあわせ、あと四日で九日になる。『目的』──つまり、『神』を倒す日に。
 時は確実に満ち、全ては私の思い通りに運んでいるはず──だったのだが、予期しない異分子が現れた。
 名前は知らない。ただ私の『敵』だとしか。
 昨日の嫌な笑みをみせる『敵』が脳裏をかすむ。私は『敵』を倒した。だがあれはフェイクだ。『敵』のコマに過ぎず、倒しても何の価値も無い。
 『敵』は多種生物を操る『力』を持つのだろう。瞳を見たあとに、仲間は自意識を失ったとクロサギは言っていた。つまり自分の意識を間接的な方法で植えつけることができるのだ。
 恐ろしい能力に思えるが、逆に考えればそれしかできない。奴自身の戦闘力の低さを露呈させている。操るものも、知性が低いものが多い。
「しかし、やっかいですね」
 『敵』が私を狙う動機。恨みか──あるいは負い目か。『敵』の口調、話の内容、昂揚感。数百年前の私を知り──私はヤツを覚えてないが──憎むべき対象として見ているようなのだ。いずれにしろ、深い憎しみがあることに相違ない。
 『敵』は二日前から襲い、昨日には存在さえさらした。実はこの行為に『敵』にとってのメリットはないのだ。
 つまり『敵』は、宣戦布告をしている。
 この憎しみは、ただ殺すだけでは拭えない──と。
 だから忠太を狙った。目的である『神』を倒すことに、忠太の存在が必要だと知っていて、だ。忠太を害せば、私が害されたと同じこと。
 力では勝てないと悟ったヤツは、私にある唯一の負い目をついて宣戦布告をした。憎しみほどやっかいなものはない。
 電車の速度が遅くなる。扉が開く。ぴょんととびおり、ホームへ出る。肌寒い風に、空を仰いだ。寒い空は心なしか色あせていて、ぽつんぽつんと白い雲が彩りを添えている。その雲の一つに忠太の顔がダブった。
 ──なんか、おれに出来ることないか?
 病院で別れる際、忠太は聞いた。真剣に、さも自分にも護るものがあるという風に。
 ──そう思うならじっとしていて欲しいですね。動き回ったら、逆に困りますから。
 そう言ってやると、ろこつに不満そうな顔をされた。とってつけるように、
 ──あとめぐみや茂人のことを。なるべく、一緒にいたほうが良いです。
 すると見る見るうちに顔に力を漲らせ、強く頷いた。
「本当に……」
 本当に、バカ正直な子供だ。純粋で、世界の穢れを知らない子供だ。
 初めは逆に利用できると思った。だがしだいに、胸が苦しくなっていった。
 悪い癖。感傷を抱くことに、なんの価値も無いのに。
 だけど……忠太は、何かが違っていたのだ。
 その何かは、腹立たしくて、胸焼けがして、イライラして、どうしようもない焦燥感に駆られて──それでいて、羨望のような感覚もあって。
 決定的に、何かが、違っていたのだ。
 その何かとは、一体──。
「……もうやめにしましょう」
 もういい。考えなくていい。苦しい。これからは何も思わず、感じず、目の前の問題だけに集中しよう。
 そう思い空を見上げていると、空に浮かぶ変てこな雲の真ん中から、一つの黒点が舞い降りてきた。羽ばたいて近づいてくるそれは、目の前に羽根を散らせて着地した。
「クロサギ、タダイマ到着しました!」
「遅いです」
「すいません、ちょっと鳥助けをしてたもので!」
 体勢を低くしたクロサギの背中に乗ると、空気を扇いで宙に浮かぶ。上昇し、町を見下ろせる高度まで上がった。
「今日は、どうして師匠自身が視察を?」
「『敵』は必ずこの近くにいます。そして私たちの行動を常時見張っている。操るコマを使っているにしろ、その捜査範囲は短いはずです」
「なるほど……。だから、今日の朝から、地上の者の散策に力を入れてたんですね。でもどうして、そこまでして探すんですか? 子供──忠太とやらが心配なら、守ってやるほうが先と思うんですけど……」
 余計な差し出口と思ったか、尻すぼみに声が小さくなる。中空を見つめ、気にすることなく頑として言った。
「叩き潰します」
 わずかにクロサギが息を呑み、羽が揺れた。
 そう──何もこちらが構える必要などない。好戦的ならむしろこちらから挑んでやる。忠太は確かに心配だが、リスクを負わねば先には進めない。
「……とりあえず、最初の事件があった、五丁目に飛びます」
 抑揚に欠いた声で呟き、クロサギは翼を翻した。
 気おされ、怯えたのだろう。仕方ないことだ。私と彼は、次元の違う生き物だから。
 もの寂しげな町の上空を、冷気を裂いて滑空する。体をかがめ、寒さをしのいだ。
 ──と、そのとき。本当に単純な、気づかないほうがおかしいような疑問を、ふと私は抱いた。
 私は『敵』を調べ、探し出さなければならない。なら。
 『敵』はどうやって、私の存在を感知したのだろうか──と。

 ◆

 翌日昼、地上へ降りて七日目。
 私を背に乗せたクロサキが、すごい勢いで空を滑空する。羽を持ち上げ空気をとりこみ、引き裂きながら振り下ろす。ぐんぐん速度が上がり、振り落とされないようしっかりしがみつく。風が冷たい。
 そのとき、目的地が見えてきた。くすんだ白色の無機的な建物。病院だ。
 その二階、窓付近に、八羽ほどのカラスが集まり、鋭いくちばしでガンガンと窓ガラスをつついていた。
「あれは──知らないカラスです!」
 クロサキが叫ぶ。ガラスはヒビが入り、今にも破られそうである。その窓の向こう、不安そうな決意したような顔で、忠太がハエ叩きを持っていた。隣には茂人が立ち、後ろには奈々子やめぐみ、他の患者の姿が垣間見えた。
「あのカラスたちの上空へ。一気に下降して、『力』をぶつけます」
 クロサキが急激に上昇し、はるか上空を旋回する。集中し、体の奥から『力』を引きだした。練り上げ、まとめ、統括する。
 クロサキが一気に下降する。耳元に風きり音が荒れ狂い、地面に向かう鼻先は冷気で感覚が無くなる。どんどんカラスの群れが近づき、だがカラスはそれに気づく気配はない。
 弾丸のごとき速度となり、目前になってカラスの群れがこちらに気づいた。大口を開けて威嚇するが、遅すぎる。すれ違う瞬間、両手の『力』をあやまたずふりおろした。
 広範囲に放出された『力』は、飛んでいるカラスを打ち抜く。さながら重力が急激に上昇したとでも言おうか。抵抗のいとまも与えず、カラスは全て地面へと叩きつけられた。鈍い音がなり、それきり動かなくなる。
「……?」
 ふと『力』を放出した手に違和感がおきた。小さく震え、ピリピリと痛い。『力』を使いすぎているようだ。
「──パステル!」
 低空で翼を翻したクロサキは、声の聞こえる、今まさに襲われた二階の窓辺に音もなく着地した。
「忠太、無事でしたか?」
 聞くや、切羽詰った忠太の顔から一気に力が抜ける。
「……ああ! あんがと、パステル。助かった! ていうか、よく分かったなぁ?」
「私だってぼうっとしているわけではありませんよ。忠太がピンチの時にはいつでも駆けつけます」
「はは、まるでヒーローみたいだな。……そのカラスは?」
 にわかに不安そうな顔をし、クロサキを指差した。すると、ギャアとクロサキが鳴き、病室にいた全員がぎゃあとあとずさった。
「クロサキです、と言っているんですよ。大丈夫です、彼は私の仲間ですから」
「そ、そう……なんだ」
 ギャアともう一度鳴き、ぺこりとくちばしを下げた。
「よろしくな、忠太の坊ちゃん。ですって」
「えっ、あ、よ、よろしく……な、クロサキ?」
 嬉しそうにクロサキが身震いした。
「では、私はこれで。行きますよ、クロサキ」
「え? え? もう行くの? なんで?」
「忠太。あなたは狙われています。私はそいつを探しています。早いほうがいい。分かりますね?」
 分かるけどさ……と寂しそうな顔をする忠太。ちくりと胸に甘えという名の針が刺す。私は早々にそれを切り捨てた。ふわりとクロサキが宙に浮く。
「……では、忠太。今度危険になったら、せめてほうきでも持ったほうが良いですよ」
 バサリと翼をはためかせ、クロサキが上昇した。

 飛んだクロサキを、一旦病院の屋上に下ろさせた。背中から降りると、コンクリートが冷たくておなかが冷えた。
 見下ろす町は、木々は枯れ冷たい空気も吹きつけて、もの寂しい雰囲気を染み出している。だけどその蓋を開ければ、温かい生活をしている人間たちで溢れている。そう思うと、いっそう冷えたコンクリートが冷たく感じた。
「…………」
 隣で同じく町を睥睨するクロサキは、何も言わない。気を使っているのだろう。彼は子供だが、だからこそ他のものへの配慮は純粋だ。まあ、私に対する畏怖もあろうが。
 しばらくそうしていると、おもむろにクロサキがくちばしを開いた。
「ぼくはこの町で生まれて、この町で育ちました。汚いところも知ってるし、きれいなところも知ってます。友達もいて両親もいるけど……、ぼくはこんな立場だから、友達もつきあいにくそうだし、両親も忙しくてあんまりあってないんです」
 一旦黙り、申し訳なさそうな視線で、話して良いかこちらを見た。返答しないことで許可を示す。
「ある日、ぼくはケガをしました。うっかり隣町のカラスのなわばりに入ってしまったんです。ぼくは地上へ落ちて、気絶ししちゃいました。ああ死ぬんだなとか、終わりなんだとか思って、でも、まあいいやって思う自分もいたんです。ぼくはカラスに生まれるのに失敗しちゃったんだって思ってたから。人間もカラスにひどいことをするって聞かされてましたし。死ぬなら、今度は普通のカラスに生まれ変わりたいなと思いました」
 頭を下げ、一度くちばしを閉じる。心の整理をするような間だった。
「……それで?」
「……気がついたら、ぼくは新しいぼくじゃなくて、地上の温かい所で寝てました。人間が助けてくれたんです。足には包帯が巻かれてました。どのくらい寝てたか分からないけど、もう体の傷も治って、十分飛べる状態だったんです。ぼくはそのとき混乱したから──そそくさと、人間に見つかる前に飛び立ったんです。治って飛んでいくところを見せればよかったと後悔してます。だけどぼくは思ったんですよ。人間はぼくと違う生き物で、ぼくたちを嫌ってるけど、仲良くすることはできるんだって。きっとぼくは友達とも仲良くできないと思い込んでた。けどそれは違うって、分かったんです」
「……そうですか」
 ヒュウと北風が吹きすさぶ。そうなんですと、にこやかにクロサキが言った。
「その助けてくれた人は?」
「知ってます。今でも、彼はこの町にいて、ぼくはたまに見に行ってます」
 嫌な予感がした。鋭くなった警戒心が、その『彼』の名前を聞くなと警報を鳴らしていた。だけどその警報を口にする前に、クロサキが言った。
「平河忠太。ぼくを助けてくれた人です。……これ、何かの縁ですかね」
 あははとクロサキが笑う。笑い声が、からっぽになった頭に響く、響く。響いて、私の心臓を鷲づかみにする。先ほど忠太に自己紹介したときの、嬉しそうなクロサキの表情が脳裏をかすむ。すぐに考えを淘汰しようとした私を、つづいて静かに質されたクロサキの質問が、串刺しにした。
「そういえば……どうして、そこまで師匠は、忠太の坊ちゃんを助けようとするんですか?」
 いずれ聞かれる質問だとは思っていた。少し逡巡して口を開き、すぐに閉じる。それを何度か繰り返していると、不思議そうな顔でクロサキがのぞき込んできた。
「どうかしました?」
 なんだろう。
「……いや」
 自虐心がわいた。あるいは、この事実をクロサキにあてつけたいと思った。罪悪感の針が胸をさすが、一瞬にしてどす黒い圧力がその針先を折った。
「私が忠太を救うのは──」

 ◇

 死のうと思った。
 だけど死ななかった。
 死のうと思ったのは、多分今回で千回を越えたと思う。

 おれこと平河忠太には、両親がいない。
 両親の顔を見たことないわけじゃない。姉ちゃんとも血は繋がっている。小さい頃の記憶に両親の姿もある。
 おれがまだ小学生にあがりたての頃くらいに死んだのだ。父も母も、全く同じときに。
 その頃の写真が居間におかれているが、それを見たパステルに、両親のことを聞かれなくて良かったと思っている。パステルもおれに気を使っているんだと思うけど、たぶん彼が想像している原因とは少し違うから。
 流行り病で倒れた、より気持ち悪くて。交通事故で死んだ、より馬鹿げてて。
 殺されたのだ。顔も名前も誕生日も知らない人間に。
 記憶は曖昧でかすれていくものだけれど、その時の記憶は脳の細部にまで刻み込まれ、過ぎ去った思い出にしてくれない。
 臭かった。うまく表現できない、本能が拒絶するような臭い。姉はいなかった。日の落ちかけた暗い夕暮れ、学校から帰ってきたおれはお腹を包丁で刺されている両親を見つけた。
 汚い赤がそこら中に飛び散って、争った生々しい傷を残していて──血を擦って歩いたような跡が、窓に続いていた。
 真っ赤に染まる包丁を握った男がいた。
 窓に足をかけ、今にも逃げ去ろうとしている男。深く被った帽子やマスクでよく顔は見えなかったけれど、ちらりとこちらを見たときのその瞳は忘れない。
 ぎらりと光り、陶酔と満足にみちた禍々しい瞳。
 その男はすぐに目の前から消えて、一生おれの前に現れることはなかった。
 赤い。黒い。臭い。汚い。死んでいる。
 パニックになって、胸が苦しくて、息ができなくて、おれは気絶した。
 おれは発作をそのとき誘発し、持病とした。今でも発作が起こるたびに、あの瞳が脳裏をよぎる。愉悦に満ちたあの瞳が胸をつかむ。死にたいと思うおれの首を締め上げる。
 発作のためか、両親がいないためか、おれに友達はできなかった。他の人とは違うから。心配する姉ちゃんには大丈夫と笑っていたけれど、一人になると泣いて、発作を必死に押し殺して、網膜をかすむあの瞳を忘れようとして、死にたいと何百回も思った。実際、姉ちゃんがいなかったらおれは今頃いなかったと思う。
 意地で生き、わずかな希望を求め続けていた。そして──見つけたんだ。パステル、茂人。
 二人の前では素直に喜ぶことが出来ないけれど、本当は、本当に心から嬉しいんだ。彼らが現れたから、おれはもっとがんばろうと思った。人より弱いけど、人よりがんばって、生きようって改めて思えたんだ。
 だから、そんな彼らに迷惑をかけたり傷つけたりする自分が、おれは腹立たしい。悔しい。おれは無力だから。
 無力だから……せめて、足を引っ張るぶん、思い切り楽しませたい。残り二日。そのとき思い切り、彼らを楽しませてやろうと思う。
 そのときに発作のことを告白しよう。黙っててごめん。心配かけたくなかったから、と。……いや、それだと「無用な気づかいは時に迫害を生みます」とかしれっとパステルが言うに違いない。茂人は「皆で分け合ったほうが悩みは軽くなるよ」と言ってくれるだろうな。
 とにかく、おれは大好きだ。パステルや茂人、姉ちゃんやめぐみちゃん、そのお母さんも。
 みんなみんな、幸せになれるんだ! 今パステルが何に悩んでいるのかは分からないけど、きっとあいつのことだから、皮肉をぼやきつつ大変なことをしてくれてる。
 パステルと会って九日目。はやく、その日が来ると良いなあ──。

 ◇

「二日後、地上に降りて九日目に、私は忠太を殺します」
 冷たく──。刺々しく──。突き放すように──。
 私は、言った。
 思ったよりするりと言葉は滑り落ちた。毛穴がぞわりと粟立って、重大な何かをしたときみたいな昂揚感が胸を打った。
「……え?」
 呆けたあいづちを打つクロサキ。ちくりと胸が痛むが、勢いは止まらなかった。
「私が、忠太を、殺すと、言っているのです」
 まだ言葉を飲み込めない顔でクロサキはのぞきこむ。だが私の顔に偽りがないためか、私が元来嘘をつかないためか、しだいに険しくなっていく。
「つまらない嘘はつきません」
 本気だ、と思ったのだろう。一段とクロサキの瞳に私に対する恐怖が増した。
「……え? ど、どうし……て?」
 その質問は、私がここにいる理由や原因全てを問いただすものだった。もはや隠すこともない。口を開いた。
「クロサキも知っているでしょうが、私は普通の生き物じゃない。数百年前、『鬼人』と呼ばれ忌み嫌われたものでした。その理由は簡単。私は親しい仲になった人間を、殺していたからです」
 クロサキは黙って聞く。怯えているのかもしれない。
「殺していた理由は『欲求』。殺人願望とは違い、完全なる欲なのです。それも餓えに似ている。『力』は必ずしも無限ではありません。使わずとも『力』の源は減っていき、どうしようもない欲求が襲ってきます。一ヶ月もすると、耐えられなくなるのですよ。そしてその『力』を取り戻す唯一の方法が、」
 殺すことなのですよ。
 言った言葉が、空虚に響くのを感じた。空にも、体にも。
「親しくなければなりません。でなければ『力』の源が得られないからです。だから私は親しくなれそうな忠太のもとにいる。だから『敵』は私が殺すはずの忠太を狙い、間接的に私を狙っている」
 一度言葉をきり、横目でクロサキを見る。驚きと、おののきが、入り乱れて現実を認められないような表情だった。
「クロサキは殺しません。安心してください」
 むろん、彼のおののきはそんなことではない。
「どう、して……どうして──」
「忠太は今すぐ殺せません。『力』の源を得るには、満月の光がある夜でなければなりませんから。その日が二日後の、私が地上に降りて九日目のこと。……殺すために守るとは皮肉なものですが、仕方ないことなんですよ」
 どうして、どうしてと、クロサキは呟き続ける。
「どう、して」
 どうして。どうして己がために人を殺す。どうして──ならば、と。そうやって、私は『神』と呼ばれる存在に、数百年間閉じ込められたのだ。暗く、感覚が無く、何の希望もない空間に。
 腹立たしかった。私が悪いわけじゃないのに。全部人間が悪いのに。恨んでやる。呪ってやる。何も知らない偽善者が。
「──私は」
 そして現在、様々な偶然と必然が絡み合い、私はここにいる。『神』に抑制された『力』をとりもどし、力をなくした『神』を倒し──。
「再び自由になるために私はここにいる」
 それが『目的』。生き続けると誓った意地にかけて。他の生き物と相容れない化け物としての答えだ。
 クロサキはうつむく。表情は見えない。終わりだと思った。自分の命の恩人を殺すヤツなんかを、師匠と呼べるはずも無い。
 あくまで淡々と背を向け、去ろうとした。
「……それで、いいんですか?」
 小さくひ弱な声が聞こえた。搾り出すような口調だったけれど、やりきれない思いが如実に染み出ている。
 口を開き、答えようとして、やめた。そのまま、クロサキと別れた。

 ◆

 翌日深夜、地上へ降りて八日目。
 闇が濃い。地平線は消え、星々と、それを映す水面のような地上が、ぽつりぽつりと明かりを灯す。ほんの少し欠けた月のぼんやりとした光だけが、地上を照らしている。
 刺すような風がただよい、無神経に葉が揺れる。湿った土を踏みしめると、冷たくて、孤独感が増した。辺りには誰もいない。当然だ。ここは町外れにある、木々が立ち並ぶ高台。その木陰に、身を隠すように佇んでいた。
 鼻先には開けた場所が広がり、その向こうには眼下に広がる町の景観が見わたせる。
 『敵』を捕らえるために、私はここにいた。
 満月前夜に『敵』はかならず忠太を狙う。そしてここに来るはずだ。確信はない。けど理由はある。網を張り、『敵』を捕らえる。
 むろん忠太の下を離れるのは大きなリスクを伴うことも意味するが──仕方ないのだ。そうでもしないと捕らえられない。私はもう……一人だから。
 クロサキは今頃、私を呪っているだろう。あるいは騙されていた自分を嘆いているか。悪いことをした。だけど完全に親しくなる前に、こうしたほうが良かったのだ。
「……ふう」
 吐く息が白い。霧散していく。ふと忠太の顔が浮かんだ。
 今頃忠太は何をしているだろうか。病院は昼頃に奈々子と退院したから、いまごろ家の中で一緒にゲームでもしているだろう。負けて罰ゲームをさせられて、パステルはどこだ、また変なことをしているのだろうとぼやきつつ、そうだ茂人やめぐみも呼んでみようと電話をかけたりしてるに違いない。そしてクロサキや私を拾い、助けたみたいに、どこかでまた新しい関わりを増やしているのかもしれない。
 封印したはずの痛みが蘇った。……ダメだった。どんなに時がたとうとも決意しようとも、私は私だった。甘ったれた殺人者だった。おそらくこの痛みを胸に抱き、涙しながら忠太に手をかけ、後悔して再び同じことを繰り返すのだろう。
 もう一度大きな息をつき、霧散していく白い霧を見つめた。
 そのときだった。
 ガサガサ──と葉を掻き分ける音。息を詰めて目の前にある開けた場所に目をやると、そこには美しい曲線をまだら模様で描くヘビがいた。鎌首をもたげて眼下に見える町を睥睨している。……詳しく言えば、忠太の家を、だろう。
 きた。おそらくこいつが『敵』の本体。
 勝算はある。満月の前夜のせいもあって『力』がうずいている。
 全身に『力』を漲らせる。体を縮めバネのように反発力を高める。和解の時間など要らない。一撃で──しとめる。
 刹那。私の体が、弾丸よろしくはじき出された。
「────ッ」
 鉛球となった私の体が一直線にヘビを目指す。だが寸前、ヘビはこちらに気づき、体を反らしてよけた。体の細さが功を奏す。目標を失った私は、地面をぶざまに転がった。
「どうしてお前がここに……ッ?」
「っ──さて。どうしてでしょうね」
 外したことに苛立ちつつ答える。『力』の消費率が高く、精度が落ちてしまった。
 だが──この動揺、やはりこいつが本体だ。
「あなたは案外あたまが切れる。ここに来ると思ってましたよ」
 ここ──すなわち、町を外れた、忠太の家を見下ろせるこの高台に。
 『敵』が満月の前夜に攻めてくることは容易に想像できた。だが『敵』の本体が攻めてくることはない。その危険を冒すメリットがないからだ。そして最後のチャンスである今回は、確実に忠太をやらなければならない。ならば事前に私の行動を把握するのが必須。
 手勢をより精密に動かすことが出来るよう、自らの目で捉え、手ごまを使って強襲をかけてくるはず。なら『敵』本体が来る場所は、必然的に限られてくる。
「あなたをここで倒します。そして明日、私は『神』を倒して目的を果たす」
 もはやその目的しかみえない。私は化け物だから。
 ヘビのつぶらな瞳が見開かれる。そして──
「……クックック」
 含み笑いをし、やがて大きく笑い出したではないか。
「そうか、そうか──。で、お前が? オレを? 『神』を? 殺すって? ハハ──なんだよそれ、くだらねえ!」
「化け物としての目的です」
 繊細に『力』を編み、再び地をける。突進して攻撃するが、軽々とかわされた。すぐさま振り返り、『力』を放出して地面を陥没させる。すでにそこにヘビの姿はなかった。
「こんなに鋭く、オレほどに『力』の強い化け物は初めてだ。ああ──本当に残念だぜ、拍子抜けもいいところだ」
 後ろ──? 『力』を放つが、そこにもヘビの姿はない。暗い森の中、想像以上にまだら模様のヘビを見つけるのは困難だった。ちっと舌を打つ。
「化け物としての目的? ああ、オレは化け物として生きろとお前に言った。すばらしい気構えじゃねぇか。けどな──もはや、お前は化け物でもなんでもないんだよ」
 ガサガサと葉をする音が聞こえ、『力』を叩き込む。ヘビはいない。視線だけが、ピリピリと肌を逆撫でた。
「以前のお前は世界にとっての害だった。そしてお前もそれを認めていた。だから生きてきたんだろ? 分かるぞ、オレも意地だったからな。オレはその狭間で人をいたぶる楽しさを見つけ、自分という存在を見つめた。だからここにいる意味がある」
 聞くな。聞くな、戯言だ。
「なのにお前はなんだ? ありもしない空想を頭の中で連想し続け、つまんねぇ悩みでうだうだしているお前はなんだ? お前が悩んだって何も解決しないのに。だって誰もお前を認めやしないから、悩みが解決するはずもないんだよ。お前にある道は化け物としての生きる道、オレと同じ道。だがお前は、その道を歩む意地すらも、見失ってんだよ!」
「──ッ」
 聞くな聞くなと、『鬼人』の私が警鐘を鳴らす。がむしゃらに『力』を振るう。ガサガサと、まるで私の心を這いずり回るかのように動くヘビ。
 次の一言が、致命的に心臓を鷲づかみにした。
「お前のことは知ってんだぞ! お前──独りなんだろ?」
 はっと腕が止まる。なんだと──こいつは?
 明らかな動揺を見せた私に、クククと含み笑いが響く。
「親しい奴らができようと、お前は独りだろ? おれはそれを気にしないが、お前はそのことで悩んでるんだろ? なぜ独りになるか、答えを教えてやろうか? 簡単なんだぞ」
 一人ではない。でも独りだった。なぜ独り? なぜいつも独りになる?
 決まってる、人間だ、人間が私を嫌うから──。
「人間がお前を拒否しているんじゃない」
 ヘビは否定し。
「おまえ自身が人間を拒否しているんだよ!」
 横殴りの衝撃となって、脳を襲った。
「お前が、お前のせいで、全てお前のせいで!」
 ぞわり、ぞわりと全身の毛が逆立ち、息が詰まる。めまいがする。体の感覚が遠のき、私が私じゃなくなったようだった。動きが完全に静止する。
「わたしは──」
 拒否していた──私が? 人間が拒否していたのではなく──私が? 私が全て悪かったと? 嘘だ。そんなの嘘だ!
 その隙を見逃さず、ヘビが大口を開けて攻撃してきた。危うくかわすが、反撃には転じられなかった。ヘビが再び森に紛れる。
「──くっ。戯事を……!」
「戯事じゃねぇさ!」
 不吉な哄笑が夜の森に響く。
「仲良くしてから裏切られるのが怖い! どうせ殺さなきゃならない! だがそれは建前に過ぎない! お前は自ら一人になって、孤独を味わいたいんだ! 孤独になって、人間のせいだとあてつけて、それを生きる糧にして、意地にして、恵まれていない孤独なんだと自分を哀れんで──ハハ、さながら反抗期の人間のガキみたいじゃねぇか!」
 心を這いずり回っていたヘビに、牙をつきたてられたようだった。今まで自分は何をしてきたんだろうという徒労感、後悔、虚しさに支配される。
「甘ったれたお前を一目見るだけで分かる! くだらねえ、くだらねえ!」
 心配してくる忠太。礼を言う奈々子。仲間となったクロサキ。すべて──私が、自ら断ち切ったのではないか? 化け物だからと心のどこかで割り切り、でも矛盾して人間を求め続け──相容れず、苦悩を感じて。だとしたら。
 私は、なんてくだらない存在だったんだろう。
「ちがう、そんなのは、……」
 自分でも滑稽に思える、葉っぱのごとき薄い言葉が漏れた。
「お前はクズだ。クズ以下だ。何の意味も無い世界にとっての異物だ。『神』を倒すなんてできやしない。『神』を倒しても自由になることなんて永遠にない。お前はお前のつまらない考えに永遠に縛られているんだからな」
 人間でない私は。化け物ですらない? なら私は? 『わたし』ってなに?
 やめろ──やめてくれ。溢れる自問、出ない自答。ごちゃごちゃになる頭の中。心が悲鳴を上げる。体がざわつく。
「化け物としての意地を見失って。人間の尊厳も無いお前は──もはや、世界にとってもオレにとっても、害すらないただの存在だ。いや、クズだったな、ハハハ!」
 うるさいうるさい、
「お前を必要としているヤツなんか」
 うるさい──。
「この世にいないんだよ、バーカ!」
「うるせぇんだよッ!」
 何かが切れた。
 口腔を突いた罵声とともに、地鳴りのような『力』が辺りに飛び散る。
 無造作に、無作為に、私を中心としてミシミシと地面が陥没を始めた。あまりの『力』の放出量に全身の毛が逆立ち、ビリビリと辺りの葉が揺れる。円形に広がるそれは、震える木々を飲み込みこんで幹を折り葉を落として、岩を砕き生き物さえおしつぶした。
 見境なく潰す死の圧力を放つ私は、さながらわがままを言う子供のようでもあった。
「ハァ──ハア、ハア、ハア」
 体に合わない『力』の放出と、混濁する力の感情の渦に震える。
 『力』の放出が終わると、そこには小さなクレーターが出来上がっていた。
 『敵』がいる場所を感知する。木の幹をどけ、下敷きになり潰れたヘビを見つける。
「クク──クハハハ、ハズレだ……!」
 もう一度幹を下ろし、今度こそ息の根を止めた。土埃と葉っぱが舞う。
 なにがなんだか分からなくなった。私は化け物じゃない? 人間でもない? いてもいなくても何の価値も無い? ならどうすればいい。そんな私はどうすれば良い? 目的は? 意地は? 私は?
「あぁ──」
 ……そうだ。……忠太を。
 忠太を助けに行かなければ。楽しい夜を過ごしている忠太を助けに行かなければ。
 この『敵』は本物じゃなかった。再び出し抜かれた。忠太が危ない──。
 だけど動きたくなかった。私という存在が崩れてしまいそうだったから。
 しかし、それでも私の体は動く。意志とは無関係に、そうしなきゃいけないから。
 虚しかった。苦しかった。
「ああぁ──ああ、ぁぁああアアアアアアッ!」
 そんな自分をつなぎとめるかのように叫ぶ。誰も気に留めることのない叫びを。
 私は独り、叫び続けた。
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