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ファーフル・プラネット

第五章

 吹き上げてくる風がとても心地よい。草木を揺らし、制服の隙間を塗ってくる風は心なしか優しい。蝉の声は時期の終わりにスパートをかけ、夏特有の蒸し暑さももう一踏ん張りというところだ。地元高校の鐘の音が、風に乗って小さくこだまする。
 公式発表は再び土砂崩れとされた臍山には、改めて立ち入り禁止のロープが張り巡らされている。その投げやりな原因公表と対処の仕方に、市長が臍山に対する軽視さが垣間見られた。木や芝生が穿ち取られ、円形脱毛となった頂上付近。立ち入り禁止区域を無視して、テルミは仰臥していた。
 九月一日。始業式。快晴、のち快晴。夏休みの終わりを嘆く生徒のやるせなさが漂うだけの、特に何の変化もない日。ただ普遍的なリアルのみが連なる、そんな日々。
 空を仰いでいるテルミの視線は、優雅に浮遊している雲を捕らえている。ほんの一ヶ月前、テルミがこの上なく愛した空。木漏れ日が無く、さんさんと降り注ぐ陽光を浴びたテルミの表情は、だがどこか虚ろだった。
「こんな色してたんだな……」
 テルミは、空の色を忘れていた。観る暇も無く、思い出す暇も無かった。数週間前までは家にこもりっきりだったし、見る気にもならなかった。改めてこうやって観てみると、空は……だがあまり、綺麗なものとして網膜に焼かれる事は無かった。
 優先順位の、簡単な理由だ。この空よりも、もっと綺麗な場景を見たことがある、という。その場景は、何もない田舎での噂話となっているものだ。嘘だの本当だの賛否両論で、安河内を悔やませてならないが……。確実に、その場景は存在するのだ。
 命の輝き──『ファーフル・プラネット』は、明瞭にテルミの網膜に刻まれているのだから。
 しかし『噂話』というその場景の立ち位置は、それはそれでいいと、テルミは思う。存在を肯定されるのもきついが、完全に否定されるというのはもっときつい。噂話も七十五日だが、それでもその存在があったという事実を、皆の記憶に刻んでおいてほしかった。
 ポケットの携帯電話がなったのは、テルミが腹筋の力で上半身を上げたときだった。一連の動作で思わず携帯を放り投げそうになったのは、サブディスプレイに書かれた『バカ』という文字を見たからである。その衝動をどうにか抑え、通話ボタンを押す。
「……はい、も──」
「おうおうおうおう、テルミン! お前今どこだっ! ハゲ(担任)の話が終わったら、屋上集合って言っておいただろっ?」
「えーっと……、いや、聞いてませんでした」
「なにィ? そうなのか? くッ、友常の奴め、忘れやがったなっ? せっかく部員調達作戦のいい案を思いついたのに。……仕方ない、今すぐ集合! 分かったな、テルミン! 今すぐシューGO!」
 返答の余地を与える隙もなく、回線はブツっと切断された。ツーツーと、電子音が余韻を残す。テルミは携帯を脇に放り、もう一度ごろんと寝転がった。友常、悪い。テルミは心の中で、友常に謝罪の言葉を述べた。
 漆間は親の都合上、桃腹は引き取り親の都合上の、突然の転向。安河内も必死になっているのだろう。部員数が三人になり、廃部寸前なのだから。
 テルミは雲へ向けている瞳を窄めた。
 いや……それは表に出ている偽りの情報。親類関係の都合上というタマを含めた三人は、もうすでに──
 そこまで考えたテルミははっとする。唇を噛み締め、自分を戒める。
 弱気にならないと決めたはずだ。思い出しても、糧すると誓ったはずだ。
 タマと出会い、培った魂に。誓いを立て、絶対に貫き通すと。自分の心が傷つき続けようとも、体が慄き引けを取ろうとも。タマがそうしたように、自分もそうしようと決めたはずだ。でなければ、タマに、漆間に、桃腹に──失礼では、ないか。
 テルミの肩には、未だ傷が残り包帯が巻かれている。そこに触れた後、胸につるされている滅紫と紅い染みの付いたお守りを、服の上から握り締めた。
 確かに自分は、後々に絶望した。タマが誓い貫き通した事を認めながらも、桃腹を自分の手で仕留めると心に決めたながらも。分かっていても、打ち寄せる後悔の波。胸を蝕む虚しさ、噴きあがる喪失感。
 解っている。そうしなければ、殺戮に満ちた道しか無かったって。でも……その現実は、あまりにも過酷過ぎる。
 その事実を全て抱え、『ヒト』として生きていくことに、テルミは自信をなくした。タマや桃原、漆間の顔が頭にちらつくのだ。
 全ての事柄にやる気をなくし、何日も家に引きこもった。
 しかし……それでは何も変わらないと思ったのだ。タマと出会う前の自分と、何一つ違いは無いと自分は思ったのだ。偽りの無い現実が辛すぎて逃げ、逃げた先で『何故?』の繰り返し、信じることを怖がり、信じられるのみを望んだ自分──。
 それでは駄目だと思った。戻りたくないと思った。だから──立ち上がってみようと思った。
 それは、とても苦しい。辛くてきつくて、すぐに腰を砕きたくなる。仲間を殺して屍の上に立つ自分が、とてつもなく怖い。
 それでも立ち上がった先に何かあるのなら──タマと二人で手に入れることの出来なかった何かがあるのならば、立ち上がってみたいと思った。
 タマならばそうする。タマならば、それを願う。
 握り締めていた芝生を離し、テルミは体を起こす。生々しく残る戦いの傷跡に、彼はしっかりと足を踏みしめる。そして、眼下に見える田舎町に叫びを放った。
「うわぁああああぁあああぁあ、ぁああぉおおおおおぉおおぁああああっ!」
 ひと夏の思い出の中、タマと共に吼えた理由。
 罵るならば、そうすればいい。侮蔑されるならば、それでもかまわない。
 だから、自分は前に進みたいと、テルミは思った。タマがそうしたように、自分も。
 叫びはこだますることなく空に溶け込み、テルミはバッと蒼穹を仰いだ。
 タマは生きている。自分の胸の中で、確実に。そう、信じて──。
「さて……と。じゃあ、そろそろ安河内の所に行ってやろうかな」

 キュン、と。

 不意にどこかで聞いた──神経に障る金属音が、耳朶を振るわせた。
 弛緩した筋肉を伸びで律していたテルミは、ピタリとそのまま動きを止める。筋肉に程よい刺激を与えつつ、空の向こうに視点を合わせる。
 数百メートル向こうに──カラスが数羽飛んでいた。
「ま……まさかな……」
 テルミは呟いた。その額には冷や汗がにじみ、口角は所在無げにつりあがっている。
 まさか……いや、ありえない。たった今自分が、苦しげにも認め、受け入れる覚悟を再任したばかりなのだ。確かにあの後臍山に『彼女』はいなかったけど、それはあの光によって分解されたはずだから。目の錯覚か? 目を瞬かせるも、テルミの目に映るものに変わりは無い。じゃああれは何だ? ──自問し、すでに自分の中に答えが出ていることをテルミは知る。しかしそれを、なんだか彼は受け止めたくない。いや決して、『彼女』が嫌いだというわけではない。この事実が嫌なわけではない。今までもその事に対し、『もしかしたら』『あの時こうしていれば』との思いで、切望し続けた出来事。
 ただ、それまでに自分が感じてきた苦痛や費やしていた時間、苦しみを乗り越えた自分の意思はどうなるのだ、ということだ。自分は変われた。だから、この光景で一気に無駄にさせるって言うのはちょっと、酷すぎやしないか?
 テルミが我が目を疑い、条件反射で『焦り』を感じてしまう光景。
 数羽飛ぶカラスのうち、一羽が、鮮やかな青い空を徐々にその身の色に侵食しているのだ。色は、もちろん黒。風を裂く金属音も、それに伴い大きくなっていく。
 非常にまずい展開。テルミはこの身にその事実を叩き込まれている。
「嘘……でしょ?」
 その言葉を最後に、テルミの思考ははるか彼方へと吹き飛ばされて消えた。
 猛烈なスピードで飛来したのは、カラスなどではない。それは少女。
 闇の本質を切り落とした着物は、全ての光を吸収し。反して、鋭く反射するのはおかっぱの緑髪。何よりも目を引くのは、猫よろしくつりあがりつつ大きく開眼したその瞳。
「テ────────ルぅ────────ミぃ────────イッ!」
 テルミはこの光景を見たことがある。決して、デジャヴなどではない。そして以前とは違う事が一つある。テルミは、このざっくばらんの愛嬌ある少女の名を、知っている。
 伸びをしたまま硬直し、テルミは動く事が出来なかった。直撃の衝撃が体を襲い──だが衝撃は思ったより少なく、なぎ倒された木々をさらに掻き分けながらテルミの体は転がった。数十メートルはすべり、砂埃を上げつつようやくテルミの体は静止する。この感覚も、テルミの頭にしみこんでいる。
 頭上の空を覆うのは、闇夜の妖精こと座敷童様。
 思い浮かぶ言葉、把握できない疑問、わき上がる感情は、数え切れない。
 とりあえず以前から常々思っていたことを、テルミは満面の笑みを見せる少女に言ってやる。
「もっと……普通に現れてくれないかな、タマ?」
「あちゃぱー。こっちの方が、『驚き』があって、いいと思うぞよ?」
「あぁ……。よく解ってるね。もうタマは……立派な、『ヒト』だと思うよ……」
 タマの笑い声が天に広がり、テルミの涙が大地を濡らした。
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