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第五章 | 目次

ファーフル・プラネット

エピローグ

 結果的に言うと、全ての事柄に通じて『解らない』の一言に集約された。
 『ファーフル・プラネット』──光の奔流がテルミの意識を奪った後も、タマの意識が戻る事は無かったという。タマが目を覚ましたのは一日の早朝で、場所はなんと日本の最南端、沖縄だったらしい。テルミの地元とは、数百キロの道のりだ。
 驚くところは他にもある。その際、タマの体の傷が全て癒えていたという所。そして、タマの停止中に『封印』されていた当時の物と、同じような機材があったという所だ。俗に『樹海』とも呼ばれる場所にあったことからも、不吉な臭いは増す一方である。
 誰が、何のために、何を目的として、何故タマの構造を知り、遠く離れた沖縄へ──。
 マギリストロトン? 存在も知られていない誰か?
 理由も無いし、タマが臍山で消えうせようとしていた事も知る由は無いはず。
 それとも、漆間か──? 考えてから、ありえるとテルミは思う。彼女に関しては、この件とは関係ないながらも、よくよく考えると不可解な点があったように思えるからだ。
 漆間は……タマと同じく目覚め、テルミを目指してきたのだと言った。だが、そこで疑問が浮かぶ。
 何故漆間はマギリストロトン教団のことなど、自分らの過去について異常なほど詳しかったのか。また、テルミの下で『幸せ』になる為ならば、どうして客観的な立場でタマとテルミを見ることが出来たのか。何よりもタマのように、さっさと自分の正体を明かして『幸せ』を掴もうとしなかったのか。
 わからない……だからといって、考えて答えが出るわけでもない。どだい、タマが光に包まれているとき、すでに漆間の体は桃原によってばらばらにされていたのだ。が、タマが生きていたならば、もしかすると漆間も──。テルミはそう思い、すぐに否定する。
 それならば、漆間が現れたときに聞けば言いだけの事。とりあえず今は、現在の自分のみを捉えることに専念した方がいい……いろんな意味で。
 自分の現在の状況で、唯一つ判っている事。それは──
「テぇルぅミぃ〜。家に帰るついでに、アイス買って行こうぞよ。まろの体には水素が不足しておる、頼むぞよぉ」
「……はいはい。例え感動的な場面でお茶を濁されても、それはタマにとっては必要悪な物だからね……。もう、そんなことは心得ているさ」
「にゃはは。学習したのう、テルミぃ」
 ──隣近所のウルサイという苦情に、平謝りする日々が続きそう、という事である。



「まずい」
 潮の匂いに満ちた空気の中、小さな声が響いた。遠巻きに聞こえる小波とカモメの声に同化し、すぐ消える。
 大樹の頂に、呟いた『彼女』の姿はあった。眼下には生えそろう木々の土台となっている丘が見下ろされ、さらに先には白く輝く砂浜が伸びている。水平線をまたいで空と同化する海は、煌びやかに太陽光を反射する。砂浜を侵食しては引き、いつの時代も変わらない平行線をたどっていた。
 吹き上げる風が熱気と湿気を纏っているのは、日本列島最南端に位置する国なのだから当然のものといえる。
 地上との高低差が五十メートルはある梢に、仁王立ちする『彼女』の表情が一瞬翳った。『彼女』の強い瞳は、眼下の砂浜──否、その上を飛び回る二つの影を注視している。
 強い日差しを反射する乳白色の肌。セーラー服からすらりと伸びた手足。風にたなびく漆黒の長髪。キラリと光る眼鏡の奥に携える、まつ毛の長いパチリとした双眸。
 『彼女』──漆間雫は、静かに体をかがめ、猫さながらのしなやかな肢体を縮み込ませる。ギッと彼女は立っている梢に体重をかけ、体の力を圧縮させる。
 次の瞬間、彼女の体はその空間から消失していた。溜め込んだエネルギーを最大限に放出し、梢を圧し折って身を中空へ押し出していたのだ。もはや疾風と化した弾丸。下方の砂浜へ一直線に風を切っていた。
 圧倒的な速度の中、漆間の視線は二つの入り乱れる影を正確に捉えていた。
 一つは血をにじませる白い服。もう一つは、ミドリの相貌を持つ暴悪な黒マント。
 瞳に映る情報を把握、わずかな行動パターン、タイミングが、彼女の脳内で絡み合って予知を生み出す。
 漆間が体をわずかによじり、砂浜に直撃する寸前。
 彼女の計算どおり目前に現れたのは、黒のマント──マギリストロトンだった。マギリストロトンは突然の飛来者にぎりぎりで反応し、バックステップで回避しようとする。が、目と鼻の先に迫ってのその行動は、意味を成さなかった。
 漆間が華奢な体のしなりを使い、砂浜へ激突の衝撃を和らげて着地する。──と、得物を握っていたマギリストロトンの腕が空に舞ったのは、ほぼ同時だった。
 抉られ、舞い散る白い砂越しに、漆間とマギリストロトンの視線が交錯する。
 千切れた腕が砂浜に下降する時には、そこにもう漆間の姿は無い。時をかわさずマギリストロトンに肉迫した漆間は、脇腹に回し蹴りの一撃をお見舞いしていた。
 くぐもりがちの轟音が、大気を振るわせる。マギリストロトンの腰部がバキリと圧し折れ、圧力で漆間の脛もぐにゃりと潰れる。
「ぐゥ……ッ!」
 強烈な横殴りの衝撃に、マギリストロトンが呻いた。砂浜に軌跡を残すことなく吹っ飛び、大樹の幹を半分抉ってようやく止まった。衝撃の余波が、風に揺られ消えていく。
 桃原がさらに追い討ちをかけようと身をかがめる。白地の服を赤に染めた男性が、腕を伸ばして漆間を制した。
「フフフ……。邪魔が入ったわねぇ、『博士』様ァ?」
 漆間は、その声がマギリストロトンの発したものと理解するのに、数秒かかった。抑揚しながらも、その高揚を抑えきれない声音は確実に女のもの。さながら地を這う白蛇のような気配に、漆間は始めて身震いという言葉を知った。
「アァ、また一人作っちゃったの……? 貴方も、罪なヒトねぇ。あってはならない存在を、ぽんぽん造って……処理しようと追いかけるこっちのみにもなってほしいワ」
 漆間の横で手を翳している男は、答えない。が、その眼光には強靭な何かがあった。
「フフフ……。そんな怖い顔しなくても。……いずれ貴方は殺す。だから今日のところは……私の負ケ、ということでいいワ。重要なのは結果だものね、お偉い博士様?」
 饒舌な口調を最後に、場を縛る気配が去るのを漆間は感じた。
 今までのマギリストロトンじゃない──漆間は、不確定要素の塊である『直感』に、何故だか確信をもってそう思えた。彼女は流し目で、隣に立つ男に視線をやる。
 血のにじむ男の顔はとても疲れて見える。やや壮年、それでいて力強い瞳──。
「大丈夫ですか、雨貝博士?」
「……その名前は、もう捨てたよ……」
 疲れたように彼は言い、漆間は代わらぬ按配で言葉を紡いだ。
「すいません。大丈夫ですか──司教」
 男──司教は、苦笑するような笑みを桃原に向けた。


「司教、質問があります」
 機械的な口調が、こもった八畳ほどの室内で反響した。電気器具や液体物質を扱っていた司教が、マスクを取って顔を向ける。
 文明から孤立した、孤島の地下。そこはあらゆるものから隔離された、秘密の研究所となっていた。現代科学から過去の錬金術に使用する器具までが、所狭しと詰め込まれている。
 漆間はベッドに寝かされ、ひしゃげた足の修理を雨貝博士──司教に、施されていた。もっともこの場所は、もう数十年も使われてはいなかったが。
 漆間は司教の視線を察知し、無機質な天井を仰いだままてきぱきと続ける。
「司教は、テルミとタマがいずれ接触する事を見越し、その監視役、またはいろいろな面から守る役として私を造った。でも、それは何故でしょうか?」
 漆間自身、前々から気になっていた疑問だった。彼女の絶対的存在意義──。
 『漆間からの質問』に驚き、しばらく司教は呆ける。やがてその顔にマスクを取って返した司教は、いつものように柔らかな声音で応じた。
「なんとも、今更の話だね」
 しかしそれだけで、話の核心を突こうとはしない。が、司教のその行動を予測していた漆間は、ヒトの感情を乱さない口調で続ける。
「それならば私を造るよりも先に、タマを起こしてテルミと接触させればいい。でも、司教はそうしなかった。また司教は、タマが桃原にやられそうになっているときも、助けには来なかった。……司教は、タマに正体を知られたくないのですか? そのために私は、タマとテルミに嘘をついてしまった」
 嘘──司教に言われた、必要悪の偽り。テルミ達に説明した、自分の存在意義についてだった。
 立てられた推測に、司教の腕がピタリと止まる。漆間ははじめて、天井から司教に視点を動かした。何かを考えているような、そんな雰囲気だった。
「………憧憬──『ファーフル・プラネット』は、二つの融和によってもたらされる。錬金術の力と……ヒトの感情。当時、全盛期だった頃の私にも見ることの、造る事の出来なかったもの。私たちにとって死の光。しかし、私はそれでもそれを──」
 そこで息を吸い込んだ司教は、黙り込んで顔を伏せる。
「……いや、そんなものは建前にもならない。そう、雫ちゃんの言うとおりだよ。私は、タマちゃんに正体を知られてほしくない。だから、……桃原ちゃんとの戦闘の後にも、昔捨てた、こんな所でタマちゃんを修理したんだからね」
 そういう司教の表情は、どこか辛そうだった。
「娘を思う気持ち……だろうね、世間的には。初めてタマちゃんを造った時、その気持ちが分かったよ。最初の目的は、実験材料だったのにね。今さっきみたいに、私は狙われている身だ。余計な心配はかけたくない。それに……私が造った本人だと知れたら、おそらくタマちゃんは、とても悲しむと思う。怒り狂って……何故人間ではない自分を生み出したの、ってね……」
「…………」
 漆間は答えない。その気配をどう察知したのか、
「あ、いや、その憤りはもちろん雫ちゃんにもいえることだ。だから、雫ちゃんにはとても申し訳ないと思っている。不老不死を造ってもそんなことで悩むなんて、馬鹿だ。本末転倒も甚だしい。だから、哂われてもいい。しかし……」
 つい勢いごんでしまった自分を叱咤するように、司教はついと顔を伏せる。
「……しかし、製造者としてではなく。一人の父親として、一人の娘として、それでも幸せになってほしいんだよ。ロボット三原則──すなわち、ロボットとしての抑制を付けず、人本来の幸せを。自分の娘のたどる道が不幸だと判りつつも、なお彼女の幸せを願う私は……傲慢、なのだろうかね?」
 その言葉ははじめて漆間が聞く、司教の本音だった。偽り……では、無い。司教の伏せられた瞳を見るだけで、漆間は判断する。視線を天井に戻し、
「……私が桃原にやられたとき、タマを呼んだのは司教ですか?」
 話の腰を折るようなことを聞く。司教はぽかんと顔を上げ、頷く。
「タマを戦場に追いやった。それならば、傲慢なのかもしれません」
 漆間個人としての、率直な意見だった。思わぬ答えをもらった司教は、
「雫ちゃんも……同じくらい、大切な娘だからね。放っては置けないよ。……でも、やはり私は苦手なのかもしれない。雫ちゃんのような、しっかりとした性格の者は」
 そう言って、薄い苦笑いを浮かべた。
 その姿を見て、漆間は何だか納得した。あぁ、だから私はこの人についていっているんだ、と。ヒトへの反抗を抑制する『ロボット三原則』が無い彼女は、造り親の司教に反抗する事など造作も無い。が、それでも従いたいと思う何かがあったのだ。
 幸せ──または、安心。気づいた途端、ふっと心が揺らいだ。心などないというのに。明確な答えをもらえなかった自分は、もしかすると不安だったのかもしれない。漆間は、柄にも無く自嘲した。
 司教が「じゃあ、じっとしてて」と言って足の修理を再開する。漆間は目を瞑ろうとして──不意に、後回しにしていた疑問が浮かんだ。
「司教……さっきのマギリストロトンは?」
 外見は特に変わったところのないマギリストロトン教徒。が……雰囲気から口調から、何かが違っていた。普通よりも……もっと重悪な気配。快癒したばかりの自分が向かわなければ、今司教はこの場にいなかったかもしれないのだ。
 先ほどの比ではないほど、司教は動揺をあらわにした。持っていたフラスコをあわば落としかけ、両手で危なく押さえ込む。すぐさま揺れる眼で何か言おうとし──だが、観念したように瞳を閉じた。
「……私は言ったよね。テルミ君の運命がかわいそうだと。実際私は、そう思いたいのかもしれない。彼の悲運は運命だと。誰にも責任が無い、不運な出来事だと」
「…………?」
「だけど、分かっていたんだ。不運なんかじゃない、運命なんかじゃない。彼が不幸なのは、他の誰でもない、私のせいだって」
 漆間が細長い眉を寄せる。司教は苦渋に満ちた顔で漆間を振り仰ぎ、言った。
「さっきのマギリストロトン教徒……。あれは、テルミ君の母親だよ」
 衝撃が、漆間の全身を奔った。
 普段冷静沈着な漆間でも、この時ばかりは流石に目を見開く。テルミの過去、それを漆間も知っている。そして、その答えとつながる。
 テルミの母は、どうしてか彼を裏切り、姿をくらませた。その母が──マギリストロトン教徒になった?
「私は当時、テルミ君たち家族の──雨貝家の子孫を、知ってはいたんだ。しかし、あまり深く関わろうとはしなかった。例え父親がどんな体たらくをしていようとも、テルミ君や母親がどんな目にあっていようとも、それは彼らの問題だから。私はとうに死んだ身、関わってはいけないと思っていた。ただ、封印したタマちゃんを雨貝家の下にやり、幸せにはしたかった。だから、私はある程度の距離を保ち、彼らを観察していた」
 初めて耳にする情報だった。司教はそのときからすでに、テルミに対し認識があったのだ。しかし、ならばそこで一つの疑問が浮上する。
「私は影ながら、テルミ君たちを観察し続けた。どんな危険な暴力が起きようとも、栄養失調寸前の状況に陥ろうとも、私は……観察し続けたのだ。そして、『あの日』はやってきた。テルミ君の母親が──テルミ君を裏切り、マギリストロトン教徒となるあの日が」
 そう。母親がマギリストロトン教徒になり──しかし、なぜマギリストロトン教徒になることができた?
 司教が、雨貝家を観察し続けていたのに?
「私が囮のマギリストロトンにひきつけられている隙に……テルミ君の母親は、マギリストロトンに誘惑されたんだ。気づいたときには、もう遅かった……」
 淡々と、司教は告げた。そうしないと、絶望感で押しつぶされてしまうという風に。
「マギリストロトンは私の子孫を、あらかじめ捜査目的に含んでいたんだろう。そして、私の情報を少しでも知りたいがためにテルミ君の母親に接近した。結果的に母親はマギリストロトン教団の思想に酔ってしまい、テルミ君を裏切ってまで教団に入ったわけだが……」
 頭を抱え、荒くなる息遣いをどうにか抑制する司教に、いつもの面影は無かった。
「私は、いつも思ってしまうのだ。私が……私が、つまらないプライドや信念で彼らを傍観せず、手を差し伸べてやれば。救ってやれば、テルミ君の母親がマギリストロトン教団に篭絡されずにすんだのではないかと。私が、近づいてくるマギリストロトン教徒を追い払う事ができ──テルミ君を『不運な運命』から救ってやる事ができたのではないかと……!」
「…………」
 小刻みに震える司教を、静かに漆間は見続けた。
 ふいに、そんな司教が哀れに思えた。どれだけの重圧が、長すぎる生の中、彼を苦しめ続けていただろうか。人としての人生を捨て、自ら開発した錬金術に身を包み、常にある恐怖に立ち向かいながら。創ってはいけないものを創った責任、創った者を不幸にした責任、関わった者を不運にさせた責任──。
「でも……」
 思わず、漆間は言葉を放っていた。
「司教は、逃げませんでした」
 司教が、驚いて顔を上げる。
「責任を背負い、立ち向かい、幸せを願い──。私は、素晴らしいと思います」
 自分でも、なぜ言っているのか分からなかった。同情か、使命感か。
 いや……そんな小難しい感情ゆえの言葉ではないだろう。
 漆間は、ごく単純に、そう思ったから、そう言ったのだ。──そうだ。
 自分は、『ヒト』のように。
 漆間の言葉に半ば驚いていた司教は、ややあってうつむき、呟く。
「……ありがとう」
 そして、足の修繕に没頭した。まるで、辛い過去を振り切るように。
 漆間はゆるゆる視線を天井に戻す。
 目を瞑ると、今まで感じたことの無い気持ちが、胸に溢れた。
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