Novel βrother
なとりうむ
BBS  Home
第五章 | 目次

独り輝く、月の下で

終章

 翌日朝、地上へ降りて十日目。
 九日が過ぎた。だが『神』が私を見放したわけではなく、そこら一帯に『神』の存在感をありありと感じる。以前はその気配がいやでたまらなかった。今では諦念と違う、不思議な安心感が湧いてきた。
 忠太の部屋の窓から見える空は、目に染みるほどの晴天で、カァカァと鳴くカラスが翼をはためかせている。ほんわかと浮かぶ変な形の雲が、今はなんだかとてもおかしい。
「神よ──神よ。そこにいるのでしょう? いつまで私を観察しているのですか」
 すると、しばしためらうような間をとったあと、目の前の宙空に薄いもやが集まってきた。ボーリング玉ほどの大きさに固まると、それ自体が薄く発光する。
「気分はどうだ、パステル・ムーヴィン?」
 初老男性のような低い声が響く。『神』だ。即答してやった。
「最悪ですね」
「ほう、そうか。たいそうな『力』自慢だったお前が、あの程度の化け物にありったけの『力』を込めなければならなかったことが──そんなにも悔しいか」
 全くこの神は……。侮辱することがそんなにも好きなのか。
 昨日あの化け物を倒した。だがその時、姿を変えるには圧倒的に『力』が足りなかった。だから──命を『力』に変えて、その代償を補ったのだ。
 この命は、もういくばくも残されていない。『神』に何をされずとも、崩壊するのは時間の問題だろう。
「そうじゃありません。私はあなたに出し抜かれたことが腹立たしいのです」
「それを世間は出し抜かれたとは言わない。希望というのだ」
「……あなたはやはり、最悪な神だ。神をあがめている地上の者が知れば、失望はまぬがれませんよ」
「いいのだ。私は存在することだけに意味があるのだから」
 まるでわがままを言う子供のようだな。
「だから私を傍観し、干渉せず、一方的に監視したのですね」
「監視ではない。見守ったのだ。誰も私を出し抜くことなどできない」
 悔しいがそうなのだ──化け物と戦い、最終的に器が大きいのは誰かと問うた。そしてその答えはまぎれもなく『神』だった。
 『神』は力を失ってなどいない。私を地上へ下ろさなくてもよかったし、『力』を完全に抑制させることもできた。
 『神』は私を試したのだ。『鬼人』の私に、もう一度チャンスを与えたのだ。
 『神』は、万能だった。
「もし──忠太を殺していたなら」
「そのとき対処する」
 想像はたやすい。手をかけた瞬間、神の鉄槌により塵芥に帰していただろう。
 そう思うと、なんだかおかしくなった。化け物として生きていたら、私はここにいなかった。人間として生きる道を選ぼうと、結局ここに残ることはできない。
 初めから同じ結末が待っていたなど、なんという皮肉だろう。
「まあいいです。今は特別気分がいい」
「まさか許容を受ける立場になるとは思わなかったぞ」
「御託はいいです。早く私を処理してください。もうすぐ忠太が帰ってくる。彼には別れを言いたくない」
 早朝、忠太は三度目になる病院を抜け出し、めぐみの家にすっ飛んで行った。自分もめぐみたちと一緒にケーキを作り直したい──と言い残し。
「何を言う。言ったろう? 誰も私を出し抜くことはできない。いったいいつ、このままお前を成仏させるといった?」
「? ──どういう」
「お前には更なる罰を与える。お前のやってきたことは許されず、償いきれない。だからこそ、一生をかけて償っていく義務がある」
「……『神』。なにが言いたいのです」
 神は宣告した。
「罰を言いわたす。お前はこれから平河忠太が死ぬまで一生やつの傍にいて、『鬼人』の自分を否定し、人間の自分を肯定するよう努力し、償いなさい。否定は許さない」
「────」
 呆然と円形の『神』を見つめることしかできない。しばしの間。
「……いいのですか?」
 また殺そうと思うかもしれませんよ? 冷徹に──言葉を紡ぐ。
「そのときまた、対処するさ」
「……あなたは」
 全く。もう少し考えろ。こっちの身も、地上の人々も。
 『神』の力により、私の崩壊が止まる。
「やはりあなたは、神としてふさわしくない……」
 語尾が震える。顔を伏せる。色んな意味で『神』を見たくない。
「──おお、いかんな。そろそろ時間のようだ。それでは、くれぐれも償いの心を忘れぬようにな、『鬼人』──否。『人間』、パステル・ムーヴィンよ」
 風に吹かれるように、脆く円形のもはや消えていく。
「ネズミの姿、中々似合っておるぞ」
 ふわりと綿毛が飛ばされるように、あっけなく神は消えた。
 ──直後。
「うおおおい、パぁステル・ヌーボンはどこだぁ!」
 勢いよく扉を開け、怒涛のいきおいで忠太が転がり込んできた。散らかっている雑誌につまづき、ズテンと倒れる。
「いてぇ! ……あ、パステル。なに、お前ネズミに戻ったの?」
 ちょうど目の前に転んできた忠太に背を向け、目じりを強くこする。威厳たっぷりに振り返り、鼻の先をゲシとけってやった。
「私の名前はパステル・ムーヴィンであり、なおかつネズミではありませんハムスターです。どいつもこいつも、なんど言ったら分かるのですか」
「ああ、悪かった! あとで聞くから、早く来いよ! プレゼントもあるんだからさ!」
「プレゼント? いつの間にそんな──」
 思い出す。以前、忠太やめぐみ、茂人が、私が買い物についていくといったときに見せた、あの苦い表情。
 ひょいと持ち上げられ、肩に乗せられる。外に出ると、真冬のように空気が冷たかったが、ふしぎと寒くはなかった。
 すがすがしい空を見上げると、一羽のカラスがこちらに向かってくるのに気がついた。クロサキだった。
 目の前で停滞したクロサキは、驚いて立ち止まる忠太を認め、ほっと息をついたあとに、私を見つけて声を張り上げた。
「し、ししょう! やっぱりぼくは、間違ってると思います! 師匠にも、い、いろいろ事情はあるかもしれませんが、でも違うと思うんですよぼくは! だ、だから、その……や、ややややめてください!」
 裏返りつつも必死に訴える彼の言葉は、しかし忠太にとってはガァガァわめいている気違いのカラスに違いはなく、疑問符を浮かべた顔で私を見た。
 思わず苦笑する。言葉のわりに震えているクロサキはひどく頼りない。しかし彼は必死の思いでここに来てくれたのだろう。私は間違ってはいない。きっとこれからも、こうやって私を思い、慕ってくれる者たちが現れてくれる。
「ありがとうクロサキ。もういいんです。あなたには悪いことをしました。忠太に手をかけたりはしません。間違ってました。これからも、仲良くしましょう、クロサキ?」
 クロサキは豆鉄砲を食らったような顔をしたあと、しだいにほころばせていった。
「ししょーうっ! こちらこそよろしくお願いします!」
 でもねクロサキ、と彼が突っ込んでくる前に突っ込む。
「今日は十日目ですよ」
「え?」
 カチンと固まるクロサキ。……その心意気だけは買おう。
「えーい、お前らなに話してんだよ! ハブるな、おれをハブるな! もういい! そこのカラス、話ならめぐみちゃんの家でしろ! 行くぞ!」
 走り出す忠太に、クロサキが嬉しそうについてくる。
 頭上には青空。季節は秋から冬へとリセットされる。それはきっと、私と同じように、新たな何かを求めているためであろう。冬が待ち遠しい。
 数百回の満月を向かえ。
 数百回の魂を吸収し。
 数百回の悲しみに明け暮れた化け物は。
 こうして、一回目の誕生日を迎えた。
第五章 | 目次
 
BBS  Home
Copyright (c) 2007 ヴィジョ丸 All rights reserved.