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なとりうむ
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第五章 | 目次

まんだら!

エピローグ

「ねーろーめー……君っ!」
「ん? あぁ、つ──ばぐぉッ?」
 背後からの強烈な衝撃に、根路銘はつんのめって倒れこんだ。
 体前面には渡り廊下のコンクリートの冷えた感触を感じ、後ろには華奢で、やわらかく温かい感触がしがみついている。わずかに身をよじって顔を向けると、シャンプーの良い匂いがする髪が目と鼻を覆った。
 別段考えることも無い。ここ最近の学校内で、こんな周りの視線を気にしない大胆な行動をやってのけるヤツは、一人しかいない。
「……つばきの」
 叱責するように固い口調でその名を呼ぶと、しがみついていた椿野が顔を上げ、太陽にも劣らないまぶしい笑顔を見せた。
「あははっ! いたかったですか?」
「そりゃ痛いでしょ。良く考えてよ、下はコンクリートなんだよ? それに──ほら、もっと別の意味でもいたいものを周りから感じるでしょ」
「私は別に痛くないんですけどねー」
「いいから離れなさい」
 こぶし二つ分くらいの距離にある椿野の頬がふくれ、ぴょんと飛びのいた。手を取り、根路銘が起き上がるのを手伝う。ほこりを払おうとすると、その腕には、ぴったりとくっついた華奢な両腕があった。
「あのねですね、今日お弁当作ってきたんですよ。だから、一緒に食べましょう?」
「ああ、それはいいから。ここでくっつくのはやめてくれないかなぁ? ほら、周りの人みてるし……。ほこり払えないから、その手はなしてくれないかな?」
「えー、イヤですぅ。だって、根路銘君が言ったんでしょ? 私のこと好きになるようにしてくれ、って。だから、こうするんです。いいでしょう?」
 そういったきり、椿野は根路銘の胸に深く顔をうずめた。顔を高潮させて、とてもうれしそうに。根路銘はかげながら、深く嘆息した。──軽薄だった自分を、呪いながら。
 『意志』が復活してから、数週間がたった。美しい紅葉も散り、肌寒い季節となりつつあるわけ、だが──。同様にうつりかわるものも、有形無形、関係なく多々として存在するわけだ。
 その中の一つとして、椿野と根路銘の関係が上げられる。
 マカの脅威が去り、その後の椿野は目に見えて落ち込んでいた。
 確かに、今回の事件ではある程度椿野が関係──というか、大いに影響を与えていたわけだが。本人もそれは反省し、妖乎に対して言葉にならないほどの負い目も感じている。
 ただ──彼女にとってもっとも重要視されるべき問題が、根路銘鳴滝と自分の関係についてなのだ。
 彼女は根路銘が好きだという。根路銘も彼女が好きだが、どうも恋人という関係は、想像しがたいものがあった。
 しかしどうして、つきあえないなどという言葉を、無碍に吐く事ができるだろうか。
 純真な『愛』を求め、自分のためだけに苦しんでくれた少女に?
 断れるはずが無い。でも、恋愛に準ずる『愛』が確かな形であるわけでもない。
 だから、根路銘はこういったのだ。
「君に対して、恋愛的な感情は無い。……だから。これから僕が君の事をそう思えるようになるよう、仕向けてくれないかな?」
 よく考えるたび、解らなくなる言葉の意味だが。椿野は、落ち込んでいたオーラを高速の速さで忘却し、根路銘に飛びついてきたのだった。確かに彼女にとって、その答えは、付き合いを前提とした『愛』の言葉に他ならないのだから。
 そしてわずか数週間、早くも根路銘は後悔している。
「はい、根路銘君、あーんです」
 目の前に差し出された、タコのかたちをしたウィンナーを見つつ──。
「いや。でも、ほら。ここ学校だし、皆もいるか──」
「根路銘君!」
「ありがとうございます」
 ウィンナーを頬張る根路銘を満足そうに見ていた椿野が、ふと思いついたように言った。
「そうだ、根路銘君。私そろそろ冬物の服ほしくなってきたんですけど、一緒に買いに行きませんか?」
「ああー……、ごめん。今日は駄目だ」
 不服そうに眉をひそめる椿野に、慌てて根路銘は弁解する。
「今日は、父さんたちのお墓参りにでも行こうかな、と思ってね」
 椿野は、わずかに目を瞠る。根路銘がこうして、あけっぴろげに家族の話をした事は無く──また、お墓参りに行った事すら、根路銘は今までに無かったのだから。
 特別な理由があるわけでもない。ただ、根路銘が『そうしたいな』と思ったから。
「そう……ですか」
 納得した様子の椿野は──だが、根路銘の予想もつかないことを言いのけたのだった。
「じゃあ、私も行きます」
「え! な、なんで?」
「え? だって。いずれ根路銘君のお嫁さんになる人が、ご挨拶に行かないわけにはいかないじゃないですか」
 口に含んでいたご飯を吹き出すのと同時、周りからも集中的な視線を感じる。
「あはは……そ、そうだね、挨拶に行かないとね……」
 もはや、完全に椿野のペースに入り込んでしまった根路銘だった。


 お花を添え、水で墓標を濡らし、合掌するだけの適当な墓参りを終え、根路銘は帰路についていた。隣には椿野の姿もある。墓が根路銘の家に近いところにあるため、ちょっとよっていくとのことだった。何をするのかは解らないが、にやついている顔が、根路銘は何とも不吉に思えた。
 空はもう暗い。帰りは、椿野を駅まで送らなければならないだろう。
 本当に……時がたつのは早い。
 世間では、すでに『超常現象』──青天の霹靂や、地球全体地震など──の話題は、過去のものとなりつつある。完全になくなったわけでもないが、消えるのはもはや時間の問題なのだろう。全ての原因は、『意志』とマカにあるわけだから、噂が消えてくれるのは嬉しい限り。の、はずだが──。
 根路銘の心は複雑だった。時が経つたび、みんなの記憶が新しいものに塗り替えられるたび、全てが嘘だったように思えて。
 まるで──妖乎が、現実にはいなかったように思えるわけで。
 妖乎は今どうしているのだろうと、根路銘はぼんやりと思った。
 『意志』は復活した。使わないとは決めたが、マンダラの能力が消えたわけではないので、『意志』の気配は感じることはできる。
 その中で妖乎は、ちゃんと存在しているのだろうか? 自分たちを見下ろしているのだろうか? 自分たちを見守ってくれているのだろうか?
 それとも──記憶を消され、再びただの情報メモリーとして使われているのだろうか……?
 そうでなければいいと、根路銘は願った。『意志』は復活して数週間もたつのに、根路銘の周りにこれといった変化は無い。つまり、妖乎がそう計らってくれた可能性もあり、存在している確率はこれだけでも十分といえる。
 やがて玄関の前に立った根路銘は、ふいに苦笑した。
 妖乎が存在していると決め付けたい自分を滑稽に思ったのだし──この扉を開けたら、何食わぬ顔で、妖乎がそこに立っているようにも思えたのだったからだ。
「どうしたの? 根路銘君」
「いや……なんでもないよ」
 でもいつかきっと、彼女ならそうして現れてくれるような気もする。
 だからそれまでは、懸命に生きようと思う。そうすることが、彼女のためにすることの出来る、唯一のことなのだから。
「わぁ、あれって家庭菜園ですか? 私の家にある庭とは大違い」
「え? あ……向かいのおばさんが手入れしてくれたのかな。土が綺麗に耕されてる」
 明日にでも礼を言わなきゃな、と根路銘は思った。
 ポストの裏から鍵をとりだし、ガシャガシャと玄関を開ける。半ば緊張し、ものめずらしそうにきょろきょろする椿野を、靴を脱いで中へ通す。古い電灯をカチカチとつけ、いつものように「おかえり」と自分で自分に言い、
「んぁ、おかえり〜」

 『そいつ』は、そこにいたのだった。

 さらりとした黒髪を、肩に流し。黒いパンツに、同じく黒の大きすぎるタンクトップは角の無いしなやかな体を包み込み。八重歯の映える表情には、しかし確かに妖しい雰囲気が漂っていて。その『右腕』は抜け落ちたように欠落していて──。
 だらりと寝そべって、アイスを頬張っていた『そいつ』は。
「……あぁら。なに? 学校帰りに二人で、しかも誰も見咎めない家に上がるなんて。ちょーっと、高校生には妖しすぎるんじゃないのぉ?」
 にやりとほくそえみ、いつもの飄飄とした口調で、言うのだった。
「よ、うこ──」
 冷艶。妖乎。冷艶妖乎。れいえんようこ。彼女が、そこにいた。
 絶句する、根路銘鳴滝と椿野華。なぜ彼女がここに、どうしてここに──。困惑と疑念のみから生み出された沈黙は、破られる気配なくその場に堆積していく。
 やがて、気詰まりを感じたのか妖乎が陽気に声をかけた。
「よっ、椿野もいっしょだったのねぇ?」
「ひ──ひぃい!」
 まるで幽霊でも見たような悲鳴を上げ、椿野はすてんと腰を抜かしてしまった。そんな椿野をみて、「何よぅ。まるで幽霊みたような悲鳴上げて」と妖乎は唇を尖らせる。
「よ、ようこ……?」
「どどど、どうしてここみゅぃッ?」
 声さえ出ない根路銘の質問を代弁したのは、相変わらず困惑すると語尾のおかしくなる椿野だ。さあてね、と、肩をしゃくりながら妖乎は言う。
「あたしは、あたしの意志に従っただけだからねぇ」
 だから、と妖乎は言葉を紡ぐ。
「私は、戦ったってわけ」
 いつもの飄然とした──でも、決然とした言葉。
「『意志』は最も意志の強いものが束ねる。何にも支配されず、ねだろうとせず、確かなものを強く願い、己の『本質』を否定できるほどの、強い意志。『意志』が完全に構築されてないとは言え、命がけで、だから今までかかったわけだけど。でも、あたしはその戦う強い意志を持つことができたからね」
 淡々と述べられていく妖乎の言葉に、根路銘は頭がついていかない。
「だから、今は『あたし』が『意志』。『意志』が『あたし』。『意志』の方針も変えたし、『意志』が鳴滝に危害を加えるはずも無い」
 わけが解らない。解るはずなのに、解らない。解らないから、混乱する。
 でも、唯一つ、明確な事実は。
 妖乎がまたここに、現れてくれたということ。
「どう、して……?」
 二度目になる、全く同じ質問。しかし、言葉に含まれる意味は違う。どうして妖乎は『ここにいるのか』という、物理的疑問を含まない質問だ。
 妖乎は口を開け、何も言わずに閉じる。ふと考えるしぐさをし、おもむろに根路銘へ近づいた。思わず身を引く根路銘。
「どう──」
 したの、と紡がれるはずだった言葉は、唐突に途切れた。
「────」
 温かい──感覚。甘い吐息。篭絡する感触。止まった時間。『良い思い出』になるはずだった苦い既視感。
 柔らかくも刺激的な妖乎の唇が、根路銘のそれに重なっていた。
「う──」
「うひゃああっ!」
 どん、と横から衝撃が襲い、根路銘と妖乎は重なってその場に倒れこむ。悲鳴を上げたのは根路銘ではない。衝撃的光景を目にした、椿野だった。
 信じられないという風に目を見張り、悔しさに唇をかみ締めている。
「そう。その表情を、見たかったのよぅ」
 そんな椿野を見上げる妖乎の瞳は、いたずら心に満ち溢れていきいきしていた。流し目で、ちらりと根路銘を見る。
「激烈に──興奮したでしょう?」
 ふわーんと椿野は泣き叫びつつ妖乎の胸元をポカポカ叩き、彼女はそれをウフフと朗らかに受け止めている。眺めつつ、ゆるゆると根路銘は再び奪われた唇に手を当てた。
 そして根路銘は、遅い理解をようやく整理したのだった。
 キスされたという事象にもそうだが──何よりも、妖乎が何故ここにいるのかという、そんな理由を、だ。根路銘は深く頭を抱える。──あぁ。
 本当に、してやられた。まったく、この娘は。……本当に……。
 爆発する思い。妖乎がここにいるのは、こうしたかったからという、そんな理由なのだ。明確な理由じゃないかもしれない。でも、これが妖乎の意志なのである。
 根路銘は、にわかに頬が濡れるのを感じた。止まらず、溢れ、とても熱くて。
 感慨に胸が支配される。妖乎の思うつぼでも、嬉しくて涙が止まらなかった。
 妖乎は、幸せだったと──言ってくれたのだ。

 人は醜い。限りなく変な生き物なのだ。
 欲を持ち。美しい人の『本質』を裏返し。傷付け。恨み、憎み。同じ事を繰り返して。
 でも、守るのもまた人なのだ。裏返った『本質』だって、強い気持ちだからそ存在しえるものであり、その美しい『本質』があるからこそ生まれる感情なのだ。
 ならば、それでいいのではないだろうか。表と裏。どちらも真実で、どちらも根幹には『自分』が存在する。裏返った醜い『本質』を正すことは難しいかもしれないけど。確かな意志を持ち、挑むことは元来から人のもつ使命なのかもしれないのだ。
 時には憎んだって良い。時には醜く『本質』を裏返しても良い。そのぶん悩んで、自分の納得する答えを探し続ければ。意志を貫き通せば。
 それでも誤っていたのなら、またそのぶん優しくしてやればいいのだ。そのぶん、笑顔を向けてやればいいのだ。

 だって──。

「なぁに、そんなに怒んないでもいいじゃない、キスの一つくらい」
「ダメ、ダメなんです! 私したことないし、それに今日、今日こそは……!」
 泣きわめく椿野の言葉に、さすがに困りはじめていた妖乎は、はたとその言葉を聞きとめる。にたぁ、と、映える八重歯をちらつかせて笑んだ。瞬間的に、根路銘の体は凍る。この笑顔を見たとき──かならず、根路銘に厄災がとぶと相場が決まっているのだから。
「じゃあさぁ、やっちゃおうか?」
 根路銘と椿野が、違う意味でビクリと体を跳ね上げる。
「あんたも、したいんでしょ?」
 手に縄を持ち、力こぶを見せ付ける妖乎。ごくんと垂涎をのみこむ椿野。こっそりとその場を離れようとする──根路銘。
 扉に手が届こうとするとき、ふと背中に鋭い視線が突き刺さった。恐る恐る振り返ると、そこには──リップクリームを唇にぬりたくる椿野と、縄を手に八重歯をのぞかせた口元に弧を描いた妖乎がいた。
「う──うひゃぁああああ!」


 そう──だって。
 自分を見失った『抑制者』が、こうして一人の人間として。
 愛ゆえの憎しみに身をゆだねた少女が、こうして恋のライバルとして。
 世界の理不尽に嘆きを放った愚か者が、こうして世界を愛するものとして。
 笑いあうことが、できたのだから。
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