Novel βrother
なとりうむ
BBS  Home
第一章 | 目次

まんだら!

プロローグ

 最近の地元はずいぶん活性化したものだと、ふと根路銘鳴滝(ねろめなるたき)は思った。
 というのも、バスさえもまともに通っていない『ど』が二つほど付いてしまう田舎に、無謀な観光地開拓や、無意味な市長選挙戦、やる価値のない爆弾テロが起こっているわけではない。
 変てこというには重過ぎる、『怪奇現象』のようなものが起こっているのだ。
 ここ数日の出来事だ。三日前には、震源地のわからないマグニチュード4もの地震が『地球全体』を襲い、地震経験のない国や地域、地震研究家の喉を震わせたものだ。つい昨日の昼時には『晴天の霹靂』が近くの町で観測され、これまた気象予報士などが頭を掻き毟った。
 何よりも大きな出来事は──世間的に見れば一番小さい出来事だった。
 根路銘の通う高校で、一ヶ月前ほどに自殺者がでたのだ。
 といってもこれはこれで、世間をにぎわせる『怪奇現象』の枠にとらわれる事はない。自殺者の動機もはっきりとし、田舎の新聞でひっそりと公開され、ひっそりと消えていった。虐めによる、服毒自殺だった。
 何故こんな辺鄙にもほどがありすぎる田舎が、場違いな異常事態の奔流に呑まれてしまっているのか。そんなこと根路銘は解ろうとも思わないし、もとい、興味すら湧く事もない。では何故、彼は今そんなことを考えてしまっているのか。実に簡単だ。

 目の先にある体育倉庫に、たった今、隕石が落ちてきたから。

 ──ところで、人間の自律神経にはすばらしいものがある。
 ある程度理解できる異常事態に出くわすと、人はパニックになるよりもまず冷静になってしまうのだ。眼前の嘘のような出来事をまず疑い、状況を捕捉、さらに好奇心という名の情報収集指令に従い、自らその出来事に近づく。
 根路銘鳴滝は、確信を持ってその理論を提示できるような気がした。
 校庭という長くも短い距離をはさみ、直接『怪奇現象』に遭遇してしまった、彼には。
「まじですか」
 土煙をまとって盛大に瓦解する体育倉庫を眺めつつ、根路銘はそんな言葉しか吐き出せない。しかし頭ではわかっているのだ。自分が今、どういう状況に置かれているのかを。
「ひいぃ、な、なんなんですかぁっ?」
 悲鳴は、彼の腕にしがみつく少女からのものだった。
 小柄な体に、キラキラと光を反射する大きな瞳。今その瞳はおびえ、特徴的なひょこっと突き出したツインテールが震えている。家が近いためよく一緒に帰宅する、同級生の椿野華だった。
 周囲には、彼ら以外に人影はない。無駄にだだっ広い校庭には、殺風景な乾いたグラウンドが広がるばかり。帰宅生はおろか、部活動さえ行われていない。昨日の霹靂を意識した、学校側の計らいだった。では何故、彼はここにいるかというと、そんな質問は呼び出しを発した担当の先生に聞いてほしい。
 さあ、どうする。学校に残った先生が駆けつけるまで、好奇心に身を任せるか──。
 そんな考えが、根路銘の頭をよぎった、その時だった。
「何……? なんだ?」
 瓦礫となった体育倉庫の頂に、根路銘の視線は釘付けになった。逆光で見にくいが。
 瓦礫の上に──仁王立ちした人のシルエットがあったのだ。
 目を疑うが、その姿は消えず──注視すると、その容姿が明らかとなっていく。
 女性だ。スタイルが良く、快活な笑みを浮かべているその口元には、印象的な八重歯が映える。自分と同年代といった所か。漆黒のパンツに大きすぎるタンクトップがそのしなやかな体を包み込み、同じく太陽に反射しない黒髪が風になびく。透き通るように白く、繊細な指先で、無造作に舞う髪をかきあげた彼女に。根路銘は、衝撃を受けて立ち尽くした。
 彼女の右腕は欠落していた。
 肩口からその向こう、きれいさっぱり何もなく、晴天の青い空が窺える。
「なん、だ……?」
 なぜ少女が今、崩れ落ちた体育倉庫の上に立っている? どうやって、いつ? もしかして……落ちたのは、隕石ではなく、──彼女? それに、なんで、どうして──
 あの少女の姿に、『あの女』の姿が重なっては消えていくのだ?
 様々な思いが浮かんでは消える、その時。つい、と長いまつ毛のついた、鋭くも、妖しげな光を宿す少女の瞳が、根路銘に向けられた。心臓が跳ね上がるのを感じ、見つめる彼女もわずかに驚いたようだった。
 やがて──彼女はどこか妖艶に、にやりとほくそえんだ。
(見 つ け た)
 そう、唇が動いたような気が、根路銘は、した。
 瞬間。少女が立ち、崩れている体育倉庫の瓦礫が爆発した。否──爆発ではなく、内部から何か強いものが押しだされたような。少女が上空に吹き飛ばされ、
「きゃあ!」
「ッ!? あ、危ない──!」
 根路銘は振ってくる残骸を避けるべく、悲鳴を上げる椿野の腕を引き、樹木の陰に隠れた。舞った金属が地面に叩きつけられて、不協和音を奏でる。
 椿野の華奢な体を包み込んで守りつつ、何とか状況を整理しようとし。だが再び起こった轟音に、またもやそれは防がれた。視線をやり、根路銘は息を呑む。
 もはや原型もなくなった体育倉庫の瓦礫から、巨大な蛇が無数にのたうっていたのだ。胴はそれだけで人の太ももはあろうか。瓦礫を媒体にヤマタノオロチよろしく鎌首をもたげた蛇が、不吉な触手にも見える。
 ふいに、その蛇たちがうずいた。と、目も止まらぬ転瞬。ずりゅりゅと不吉な音を立て、無数の蛇が巨大な影の尾を引いた。われ先と飛び掛るその先には──瓦礫の頂上からとんだ、あの少女がいた。
「あぶな……!」
 根路銘のその叫びは、あまりにも遅すぎた。顎がはずれ、大きく開かれた蛇の口。よけるまもなく少女は蛇に激突する。後を追った蛇もたかるように少女へ取り付き、勢いのままに少女はフェンスで遮られた森の中へと叩きつけられていった。
 粉塵が森の中から舞い上がり、体育倉庫と一直線に結ばれた蛇がのたうつ。その長さはゆうに四十メートルはあろうか。
 根路銘は声を上げる事すら出来ず、凝然とその光景を眺める事しか出来ない。
 何がどうなっている。体育倉庫に隕石が落ちたかと思えば、なに、今度はその中から少女と、ヤマタノオロチさながらの蛇? 意味が分からない。なにがどうなって──?
「な、なに、どど、どう……?」
「わか──」
 らない。そう続こうとした根路銘の言葉は、のどの奥でつっかえて消えた。蛇が──何かに気づいたように、ピクンとのたうったのだ。根路銘の直感が警鐘を鳴らした直後。
 森と体育倉庫をつなぐ一本の蛇が大きく上空へ舞い──そして、降下してきた。落下地点には根路銘と椿野。何かを考える間すらなかっただろう。が、根路銘は降り注いだ蛇のムチをかろうじてかわし、地面に転がった。轟音。振り返った彼は愕然とする。ビクリと脈打つその蛇が、巨大な樹木を軽々と叩き割っていたのだから。
「まずい……あぁ、これまずいな!」
 理解できない。でも、これだけは確かな事実。根路銘の転がった地点に影が落ち、そしてしだいに大きくなり、呆然と根路銘は頭上を見上げた。もう一つの、蛇──。
 あ、僕これ、死んだかも。
 そんな安易な考えが浮かぶのと。
「『マンダラ』。等価交換──『まじかる・すてっきぃ』」
 そんな別の意味で安易な声が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
 背筋の凍るような轟音が響き渡った。
「────」
 降り注いだ蛇は。
 脳天に一本の棒を突き立てられ、地面にひれ伏していた。
 上あごから下あごにわたって貫かれ、大きな牙を見せることなくびくびくとのたうち、あがいている。棒の呪縛は解けず、同時に蛇の上に立った少女が、そうはさせなかった。
「へぇ、もっと弱いかと思ってたけど。思いのほか強いんだねぇ」
 腕の欠落した少女が、八重歯を覗かせてにやりと笑んだ。
「ひゃあっ!」
 少女に反応し、椿野が根路銘の腕にしがみつく。根路銘もまた、自分の目を疑うほどに驚愕していた。死んだと思った自分が生きている事にも──死んだと思った彼女が生きていて、瞬間的な速度で自分を救ってくれたことにも。
「へぇ、あんたが、ねえ」
「な、なんなんだ……ッ?」
「何なんだ? あぁ──確かに、なんだろうねぇ、この蛇の『マンダラ』。縛り上げるなんて何て淫靡なんろう。……あたしが言えた義理じゃないけど」
 まるでいかがわしいものを見るような眼で、少女は根路銘を凝視する。
「こいつらは……ま、殺しちゃってもいいか。異分子だし。そっちの方が『意志』も、あんたも、安心なんでしょ?」
 そう言って、腕の無い方にずれたタンクトップを不器用に戻す少女。だがその質問が誰に対してのものかさえ、根路銘にはわからなかった。
 ──と。その瞬間、少女の緩んだ瞳が鋭く真横に転じる。同時、幾本もの蛇が一斉に少女を襲った。が、すでにその空間に少女は無く、次々と手に持った武器で蛇を蹴散らしていく。武器とは、一メートルほどの焼木棒の先端に扇状の鎌が直角についている、農業用の立鎌だった。身のこなしは鮮やかで、何かの舞さえ連想させる。
 ああ──駄目だ。そう思い、根路銘は強く瞳を閉じた。隣でも、椿野がぎっしりしがみついているのがわかる。ヤバイと、本能が警告していた。
 いくら最近『怪奇現象』とやらが流行っていても、自分には関係が──そもそも、これは『怪奇現象』のタグに分類されるのか。わからない。わからなくていい。ただ、危険だ。
「ああ、そうか、そうなんですか」
 ならばどうするべきか。考え、根路銘は自嘲する。バカ、この状況でどうするべきかなど、常識人として明白であり明晰じゃないか。

 うん、逃げようか?
BBS  Home
第一章 | 目次
Copyright (c) 2006 ヴィジョ丸 All rights reserved.