いんろーど♪
その五
バンド、『perfect pitch』はロックをやるものとして最初の憧れであり、超え続けたいと思う最終的な目標でもある。時がたってもそれは変わらず、今でも世界各地にその存在を追おうとする輩は後を絶たない。
彗星のように現れた彼らはその年の新人賞、または大賞を総なめ、年末の大型音楽企画などでも幾度と無く大鳥を飾った。海外のチャートでも数ヶ月にわたり一位を独占、わずか数年で世界にその名を知らないものはいない、神のバンドと化した。それが、『perfect pitch』。そしてそこまで導いた最高のヴォーカリスト、それが、ZIN。
『どんな嘘ついてんだ、こいつ?』
一度機能停止した思考回路が、次の瞬間思い描いた考えがそれ。当たり前だろう。世界のZINだぞ? そんな彼が、こんな所に……。
だが、そこであるひとつの可能性がその考えを否定した。イヤ待て、と。
アジェンではZINがプロデュースしたバンドだと、あの雑誌の切抜きにはあった。そしてそのメンバー、凛がここにいる。ならば、そんな関係を持っているZINがここにいてもなんらおかしくは無いのではないか……?
さらに、もう一つの知覚神経もその可能性を示唆していた。その撫で上げるような──優声。その声が、ZINそのものだったからだ。ということは、まさか。
「本当に…………ZIN…………………?」
「理解が遅いな。脳の回転を早くしなければ、人生面白いことを取りそこなうぞ」
間違いない、この声。彼、彼彼彼、ZINだ! 俺はただ、目の前の男──ZINを凝視する。
──どんな話を持ち出そうかと思った。
ZINの曲が俺にその道を教えてくれた? 俺の全てを洗い流してくれた? 俺の目標となり、尊敬する人物となった? ZINを信じて認めたからこそ、ほかのものを弾いてでもやってきた? それとも、………今何故俺のことを『一生のクズ』と言ったのか……?
それが一番妥当なところかもしれない。でも、何でだろうな。今俺がこんな状況だからか。突然の事態に脳内がパニクってるからか。こんな考えが頭によぎり、そしてそのまま声帯を動かし、息を吐いてしまっていた。
「俺は……俺は、信じていたのに。ZIN、ただ一人だけ。なのに、なんで………なんで……『絶対音感』は、……駄目なんだ………?」
絶対に馬鹿だと思われただろう。今自分でもそう思った。絶対にこの後で後悔するだろう。絶対に後で泣き崩れるだろう。……でも、でも! 俺にとってそれは全てだったから! それだけを信じて、やってきたんだから!
するとZINは目を細めるような間を取った後、静かに、………吐き捨てた。
「それが、『一生のクズ』だって言っているんだよ」
口調は変わらず、慰めるように柔らかに。
「私を信じていた? 絶対音感を信じていた? ………ハッ。戯言もそこまでくると面白くも無いよ」
「ZIN! いいかげんに──もごっ」
凛が店長に押さえつけられた。そんなことはどうでもいい。何故ZINは急に、俺にこんなことを……。それになんだ、この……。
「本来思い描いていた目標さえ忘れ、踏みにじり、こともあろうか、実際見たことも無い私を信じ込む……。正直、迷惑だよ。君は、自分と向かい合ったことが無いだろう?」
「…………自分?」
「自分自身と真正面から向き合った時にこそ。──真の扉が開かれるんだよ」
……自分……自分。自分………自分って………誰だ? ZINは間をおかずに口を開け、
「信じるものを崇めこみ、大切なものを理解しようともしない」
話を転換する。その言葉に合わせて、眼前の映像に可憐、優の顔がダブり、
「誇れるものを盲信し、面白いものを追求しようともしない」
身勝手な自分、のうのうとバンド活動を称する自分の映像へスライドされる。……そうだった……。今まで俺は、そうだった。
「私は君の事なんかなんとも思ってはいない。ただミュージアムに出る以上、普遍的ではいけないんだよ」
「…………でも………でも、俺は」
例え。例えそうだったとしても。
「どうせ俺がやっても駄目だし、仲間の足を引っ張るに違いない……。俺はもう………そんなのは、嫌なんだ」
この事実は変わらない。どんなことをしてもその差は縮まらないんだ。この俺から絶対音感が消えるか、それ以上の力が宿らない限りは。真実は、変わらないんだ! ──だが、そんなところでZINは。ただ一言、彼は。
「いいわけだ」
どんなに俺が考えても出なかった答えを、ただ一言。そんな簡略化を重ねた言葉で、片付けた。まるで伝説の剣尖を、路肩のなんでもない石ころに突き立てるように。愚問を握りつぶす、魔人のように。
「それは、君が逃げているだけだろう? 本当に信じるものや誇るものは、君自身もう知っているんだろう?」
俺は逃げている。俺は知っている。
そこで改めてZINは俺を見据え、わずかに声音を跳ね上げて。
「負けを知り、認め、解ろうとする奴しか上へはいけない」
跳ね上げて、跳ね上げて。頑として言い放った。
「負けを認めず、解ろうとさえしない奴は、『一生のクズ』だ……!」
まさに、ど真ん中。全ての中心を砕き、抉り貫き、何もかも持ち去っていく。
まだ会って数分しか経ってない筈なのに。何故俺の考えは、この人に全て見通されているのだろう。反論の声など、どこにあろうか。
俺自身がその真実を埋め込み、その他の口実で自分を納得させようと、真実に似た偽りの答えを模索していた。
そのことを、言い当てられたのだから。俺自身さえも、気づかずに行っていたことを。
本当に信じるもの、誇るもの。……いや。信じる人、誇れる人──。
虚空と化していた胸の中心に、何かが螺旋状に収斂し──
「………君を崩した、私が憎いか? 見返したいか?」
そうだ。でも。だから。俺は、俺は!
──瞬間。煌々と、光を放った。
俺は、向き合いたい。
俺を窺っているであろうZINの瞳を、見貫く。それが答えだった。するとZINは、さぞ疲れたという風にソファへ座り込みながら、
「……なら、君の居場所はここじゃないだろう………?」
ため息混じりに軽く呟いた。そうだ。俺の居場所はここじゃない──。
──俺は恐れていたんだ。バンドを組んでちょっと経ったときに知った、絶対音感の存在。同時に得た、優越的感情。絶対に上にいけるという確信。順調すぎる活動範囲の拡大は、さらにそれを決定付けた。
そんな状況の中、優の眼が悪くなり、俺は焦った。戸惑った。……怖かった。天から地へ落ちたようで、恐ろしかった。むしゃくしゃした。俺は優の再起に賭け、根気の全てを尽くしたが、結果がアレだ。そこで知った、俺の中身の正体。あの気持ち良い高みにいた俺は、それを信じたくはなかった。足を引っ張るという存在を認めるのが怖くて、口実をつけて逃げていたんだ。そんな自分と向き合いたくなくて。何かを楯にしてでも、自分を守りたかった。俺は、恐れていたんだ。
思えば、優が弱視になったときに、俺はあいつを見捨てたら、こんなことにはならなかったかもしれない。……でも俺には、それは出来なかった。優に言われたとおり、哀れみや同情からくる、『正義のヒーロー気取り』だったのかもしれない。自己満足に浸りたいだけだったのかもしれない。優が仲間だから、という理由も間違いではない。でも本当の理由は、もっと別の、簡単なものだったんだ。
その理由は、今、俺がバンドを辞めたくない、俺が俺自身と向き合いたいと思った、その理由と同じなんだ。だから、だから、俺は。
「俺は、絶対にやめない! 絶対に、絶対に! 死んでもバンドを、解散させはしないっ!」
絶対音感が駄目でも、自分に才能が無くても。面白いことが、自分の望むものが此処にあるに違いないと。そしてそれにはこのメンバーじゃないと駄目なんだと。
抽象的観測かもしれない。でも、今。たった今、目の前で、優が笑った。可憐が笑った。……俺も笑った。
このメンバーとバンドをやる。それが今の俺の、一番面白いことなんだから。
「ひどい、ひどい、ひどい! 何てことするんですか、あなた達はっ!」
栗毛の彼……小護さん(キャー)が去って、私こと凛は、開口一番『ふう、一仕事終わった』的な雰囲気をかもし出している二人に、そう言葉の暴力を振るった。しかし店長は、
「ひどいなぁ、凛ちゃん。僕は何もしてないじゃないか」
と意外に正論ないい訳を提示し、
「それにしても柄にも無く、えらく肩入れしたなぁ、おまえ」
と、ソファでなんだか拗ねているように唇を尖らせているZINへ、肘を小突いた。
「良いんだよ。鈍感で、こっちが見てられやしない。……でもまあこれで、アイツもいけるかもしれないな、『あちら』へ。面白い奴だよ。ミュージアムが楽しみになってきたな」
再び必殺、『私を無視して勝手に話を進めちゃおう』を発動しようとされたので、
「だ・か・ら! 何言ってるんですか、あなた達は! 彼……ええと、小護……さん……っ! を、そんなにイジメて! 楽しいんですか! そもそも、そんなことを思ってないかもしれないじゃないですか、ッ、小護さ……ん、は!」
所々顔を赤らめながらも、その境目に割って入ってやった。ここだけの話なのだが、陰ながら、この二人は何かと小護さんにつっかかっている。小護さんを見つけた店長がZINに報告し、それからだ。なぜかZINは彼の近状を詳しく察知し、その上で陰湿なイジメをやっている。この間、リーダー(アフロの彼です)が小護さんを殴ったのも、ZINの命令で嫌々ながらだったし。良い証拠にたった今だって、まるで知っている風な口ぶりで小護さんに語っていたし。
以前何故そんなことをするのかと聞くと、
『彼の存在をこれ以上に飛躍させるには、こうするしかないんだよ』
なーんて、意味不明の返答しか返ってこなかったし。何を根拠にそんなことを。
するとZINは意外にも私の叫びに、
「私には情報提供者がいるんだよ」
と、理解できる答えをくれた。何と、情報提供者!? う、でもなんか、ちょっと気になる……! ……は、いけないいけない!
それとは別にも、店長やZINはなぜか『面白い』という言葉でしか、彼を判断しない。意味など分からないし、むしろそれが逆に嫌な感じへつながる。大体『あちら』とか何なのだ。思えば思うほど不安になっていき、私は小護さんが出て行った方へ、振り返った。
………こうなったら、私が……。
「まあまあ。そんなに──ムキにならなくても、良いんじゃないの?」
微かな決意を漂わせた私に、ZINが泣きわめく子供をあやす親のようなため息声で、そう言った。同時、目の端。何かが柔らかく、ふさぁっと舞ったような気がした。
「──え?」
視線は自然と吸い寄せられた。何のことは無い。帽子を取ったZINが張り付いた髪を払い、手櫛で整え始めたところだった。でも……なんだろう、これ?
滑らかで、艶があって。手櫛しか通してないのに、もうすっとしていて。光沢して、虹色に表情を変えて。アメリカにいたときも、それは見たことが無かった。
そして何より、その不思議な色。
初めて見たときの感動は無かった。久しぶりからの感嘆でもない。だって、だってそれは。つい先ほど、見たはずなんだから。
今去ったばかりの小護さんと、見まがうはずも無く全く同色の、栗色だったんだよ?
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