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なとりうむ
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その時点でイタい男

「なあ、牧原省吾。お前さぁ……この頃気づいたんだけど、英語向いてなくね?」
 真剣も真剣、突然真顔でそう言ってのけた友達に、俺は思わず眉をひそめた。
 こいつ今日の昼食に、どんな毒キノコを食しやがった。
 俺が瞬間的にそんな考えを抱くのも無理はないと思う。理由も、予兆も、話の流れも、俺の気持ちも配慮していない、全く唐突としかいえないような言葉。ふざけるなとわき腹に指を食い込ませたいところだが、元来、こいつは戯れでこんな事を言うヤツなんかじゃない。
 突然、「実は、アメリカと中国人のハーフであるドイツ人の李・ジョンという今は亡き男の人が、あんたの実の父親なんだよ」と母に衝撃の告白をされるような類の感覚である。
 では何故、こいつはそんなことを言う?
「いや……むしろ、英語という文化そのものに、あてつけを喰らったような感じだな。不運としかいえないが、必然ともいえる事象なわけだが」
 何だこのアホ、一体何を──
 瞬間、目を瞬かせるほどの白熱灯が俺の頭の上でぴかりと光輝を放った。
 ……はっは〜ん。なるほどね。
 早い話こいつは、俺に嫉妬しているというわけだ。
 現在の時間、また俺とこいつに張り巡らされた相互関係を考えれば、おのずと答えは出てくるというものだ。
 今はだらけ切った休憩時間もとい清掃活動の後である、五時間目の直前。運命の英語授業を待つ、その時間である。
 運命という言葉は誤使用ではなく、そのために現在のクラス内はぴりぴりとした程よい緊張感に包まれている。みな教科書を開き、参考書を持ち、プリントやノートをせわしなくめくってブツブツと呪文を唱えている姿が目に入る。
 一ヶ月に一度ある、日本文を英語文にうつしかえるという中々に厄介な小テスト。そのテストが、次の授業で開始されるのだ。
 しかし俺は参考書を開いておらず、真顔で言うこいつの机の上には、参考プリントが散乱している。それはこいつと同じ塾で、同じテストを想定した模擬テストで俺が満点を取った自負だし、わずか数点引けを取った彼の負い目を象徴する光景でもあった。と、同時に。
 その負い目が不幸にも彼に嫉妬という負の感情を呼び起こし、俺を動揺させようとする愚行の原因でもあるというわけだ。
「俺にはお前が、そんな世迷言を恥じずに言いのける事自体が、逆に恥ずかしいけどな」
「そうか? ……それもそうだな。でも、お前はよく平気だよな。恥ずかしくないのか?」
 恥ずかしい?
「……ああ、たしかにな」
 恥ずかしくないといえば嘘になる。この小テストを作る先生は、『役に立たない一休さん』の異名を持つほど、無理難題の質問をぶつけてくる鬼教師なのだ。中間・期末テストの難易度など、比ではない。
 その中で満点を取れるものは限られ、また取りさえすれば、クラスで話題になる事に間違いはない。その目的は、健全な男子高生ならば言わずもがなの事実。
 が、『クラスで話題になる=あんな子ともこんな子ともイチャイチャできる』という図式が成り立つわけではない。ここはよく小説とかで、阿呆な主人公が安易に抱く思考だ。俺はそんな分かりやすいやつではない。
 これで点数を取ったとしても、あくまできっかけを持つだけなのだ。それも、瞬間的な。
 ではどうやれば目の保護となる美少女とちゃちゃくれるかと言えば、そう難しい事ではない。相手が自分に興味を持った瞬間──ここで隙を逃してはならない──に、理知的かつ人格的な言葉を吐けばいいのだ。
 そうすればあら不思議、感染するように俺の良い噂が一人歩き、バラの匂いが満ちわたる学園生活をエンジョイできるというわけだうわっほほーい。
 にやついていた顔を瞬時に引き締め、達観した様子で、俺は口上を上げる。
「成る程、そういう面も含め、お前は俺に嫉妬を抱いていたようだな。まあ、それはおいといて。──恥ずかしい……。確かに恥ずかしいが、俺はそんな羨ま、身の苦しい思いに屈したりはしないな。それが、男のあるべき姿だからだ」
「へー。その心意気はすごいものがあると、俺は思うぞ」
「当たり前だ。並大抵の男なら、腰が折れて立ち上がれもしない。お前もその部類だろうから、早く大人になれ」
「そうだな。こんな事で騒ぐなんて、中途半端な大人気取りの男だ。道端でエロ本を拾った小学生となんら変わりゃしねえ」
 ふっと鼻で笑ってやった俺は、「あんまり気にすんなよ」と言ってやった。
 そう──何も気にする事は無い。彼とて、いや健全な男子高生だからこそ、思春期であるこの時期に自己顕示欲が湧くのは仕方の無い事なのだ。そして俺にはその欲望を実現できる力があり、不運にも彼にはそれが無い。
 しかし何も悔やむ事は無いのだぞ、友よ。
 俺だって二ヶ月前は赤点ギリギリの超低空飛行を常としていた。そのプリントを隣の女子に見られたとき、影で笑われたりもした。何笑ってんだお前だって似たようなもんじゃないか恋愛対象にもならない女子が。そういう男女同権に引っかかりそうな脳内陰口も、叩くだけ叩いた。
 しかしだからこそ、今の俺がある。努力という言葉は実にすばらしいものがあるのだ。そしてその根源は、異性にモテたいという一種の『愛』に帰属する。何と美しいパッション。今ではむしろ笑った女子に感謝すらしているが、今更恋文なんて渡されても、もう遅いというものだ。存分に後悔するがいい。
 そうだ。俺は一ヶ月間待った。比喩ではなく現実として捉えてもなんら問題は無いくらい血のにじむような小テスト訓練を、俺はやった。
 むろん、一回目でこの思惑が成功するわけではないかもしれない。しかしあきらめれば、その時点で終わりなのだ。果報は寝て待てなど時代錯誤も甚だしい格言を、俺は炎上破棄することをここに宣言する。
 男子高生なら誰もがうらやむような学園生活を、俺は実現するのだ。
 その時、擬似化した鐘の音がなった。心臓が跳ね、先生がプリントを抱えて教室に入るのを、動悸を乱して見つめる。
 一つ深呼吸をし、心を落ち着かせる。恋は戦場だ。落ち着け、俺は生き残るだけの力を持っている。俺なら、やれる。

 そう──やる前から残念賞など、存在しているわけ無いのだから。

「じゃあ、一昨日言ってたとおり、小テストを始めるぞー。いつもみたいに成績上位のやつのプリントは、外の掲示板に張り出してあげるから、がんばるように。プリントを貰ったら、学年・組・番号・名前、それからもうわかってると思うが、ジョン先生がわかりやすいよう、イニシャルをつけることも忘れるなよ」
 先生の説明もほどほどに聞き流し、まわされてきたプリントに、静かに目を落とす。これが、戦場の舞台。
 やれる、俺は。
「それじゃ、初め」

 二年 三組 十八番 牧原省吾

 サラサラと、俺はシャープペンを動かす。自信に満ちた、その動き。
 俺は、モテることができるんだ!

 イニシャル SM
 
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