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なとりうむ
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悪魔の証明

 『籠の中の鳥は悪戯に外に出ようとし、外の鳥は悪戯に中に入ろうとする』
 デスクトップにその言葉が連なられ、俺は衝撃を受けてタイプしていた指を止めた。
 それは決して、『永刻の阿呆』と称されたチャット仲間が知っていた事への嫉妬では無い。暗にその言葉に含まれる何かに、慄然としたわけでも無い。
 ただ──その言葉が、俺の『刺激した者を後悔させるツボ』に、奇襲をかけてきただけの事。何のことも無い。誰もが子供の頃溢れんばかりに持ち、大人になるにつれて忘れていく感情だ。
 しかし、今年二十歳になる俺はその感情を淘汰などしない。初心は、何をするにしても大事な要素の中の一つに入ると、俺は思うからだ。
 好奇心。
 まあ、何だ。幼稚な遊びを痛いほど理解できる俺に、その言葉はまさに俺そのものと言っても過言ではない。そして俺のそれを刺激するという事は、挑戦状を結った矢を、鼻先に打ち込むことと同様の事実に値するのである。
 俺はチャットの連中に『ロム』を宣言することも忘れ、勢いよく立ち上がった。わざと椅子を後ろに弾き飛ばし、その闘志に油を注ぐ。
 実験だ!

 とりあえずまずは、『籠の中の鳥は悪戯に外に出ようとする』の部分を、論理的観点から実験しなければならない。無論俺にはそんな知識は無いが、まあ、要は全身全霊をかけろという事だ。
 そうして俺が向かった先は──洗濯機の前。この狭い籠の中に入れば、その気持ちも立証できると踏んだのだ。うん、間違いない。孔明も頷くグッアィディーアっ!
 中に詰まっていた洗濯物を放り出し、軟体動物よろしくその中に体を詰め込む。痩身が功を奏し、そう難しい事ではなかった。
 蓋も閉めて外界をシャットダウン、さて、後は待つだけ。ちゃんとストップウォッチもあるから、これで外に出たくなる時間も計れるって寸法だ。俺、参謀向きかも。
 そうしてこれからの長い戦いに思いを馳せた──その時。開始十秒、いささか早すぎる事件は起こった。
「いかんいかん。ボタン押し忘れとった」
 母の声がし、直後ピッという機械音。状況補足する隙もなく、ジョボボと水が降りかかってきた。「ぉわっ」と思わず呻き、俺は慌てて外に出ようとする。が、ドスンという音が頭上の蓋を振動させた。母が何か荷物を置いたのだ。
 出られない。水が溢れる。洗剤臭い。母が去る。出られな……ぇ、こ、これって……?
「ほ、ほぎゃぁあああああッ!」
 作戦失敗。

「くそ〜、あのお調子もんめ……」
 危うく冗談抜きで死ぬ所だった。『洗濯機でかくれんぼ、前代未聞の窒息死』の見出しで、地域新聞の一角となるのだけは御免蒙りたい。そんな死に方、死んでもしにきれん。
 俺は毒づき、次の作戦に移行する事を決めた。やるといった手前、一人前の漢としてこんな所で挫折するわけにはいかない。
 外出用の服に着替え、ドライヤーで髪をセットする。バッチリ決めて、都会のビル群へ、いざ出陣。
 次にして最後の実験は、『外の鳥は悪戯に中に入ろうとする』だ。休日の人が蠢く都心に行き、何時間そこで粘りきれるか。どのくらいで、家に帰りたくなるか。その経過で、この言葉が真実かを探るのだ。
 五分……十分……十五分……。特に障害も無く、順調に実験は進む。と、その時、
「ねぇねぇ、かーれ。ちょっと、お茶しない?」
 潔癖そうな俗に言う『お姉さん風』の女性が、そう言って俺の肩を叩いた。一瞬で、俺の瞳はハートの造形。選択権は、もはや一つしか垣間見えなかった。
「えぇ、是非」
 喫茶店ではなく、ショッピングモールに設置された長椅子に腰をすえる。女性とのお茶で、時間稼ぎにもなる。まさに、一石二鳥ではないか。
 しかし彼女はジュースを買うこともなく、開口一番、
「君、英語とか興味ある?」
 と、小首を傾いできた。あぁ、可愛い。が、あんな呪文の羅列に興味の欠片もあるはずが無い。でも、話をそらす訳にもいかないな。
「え……。あぁ、大好きですよ、セニョリータ」
「セニョリータは英語じゃないけど……。そうなの? やった! じゃあさ、ここの教材なんだけど、超安くてイイ感じの──」
 作戦失敗。

 結局、結果らしい結果は得られなかった。両者に等しく、身の危険を本能で感じたのは久々だ。全く、予想外の数々である。
 実験結果を基に考える事が出来なかったのは、非情に……考える?
 ちょっと待て。そうだ、今の俺の現状から考えても、答えが出せない事は無いじゃないか。
 今俺は、部屋の中に入る。誰もいない、一人部屋だ。そして俺は、この籠の中から外に出たいと思うか──? 否、今の状況では思えない。思いたくも無い。
 つまり、『籠の中の鳥は悪戯に外に出ようとする』というのは偽りという事になり、その理論全て偽りという事になる! そうか、そうだ、そうに間違いない!
「ヒャッホーイ! 楽勝楽勝ッ!」
 ははは、『永刻の阿呆』め! 俺に挑戦状を叩きつけるなど、マッハ五ほど早いわ! 誰の格言かは知らん! が、幾ら知識を集めても、それが偽りならば意味が無い! ははッ、俺の耐久心アンドゥ好奇心の勝利だ!
「はーっはっはっはっは! はっは……」
 同時、唐突にドアが開き、顔を見せた母が叫んだ。
「あんたねぇ、ドタバタ五月蝿いのよ! あんたみたいな息子を、世間でなんていうか知ってる? ニートっていうのよ、ニート! 外に出たがらない引きこもりっ!」
 作戦失敗ッ!
 
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